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【CDレビュー・感想】BUGY CRAXONE:ナポリタン・レモネード・ウィー アー ハッピー【ライヴレポ】
BUGY CRAXONE(ブージークラクション)というバンドです。
私は2002年頃に彼らの存在を音源で知り、翌年、ライヴに参戦、
以来、このバンドを10年以上にわたり応援しています。
最近は少し距離を置いていたのですが、先日、久しぶりにライヴに行ってきて、
それが素晴らしかったので、初めて記事にしてみます。
<ライヴレポ>
ブージーのライヴは、要所要所で音源以上のものを語っている部分があるので、
あえて今回の記事はライヴレポから始めたい。
現在のDr、ヤマダヨウイチ氏が加入する前、前任のドラマーが脱退してからの
作品から、急に音も歌詞もスカスカになり、「空っぽ?思考停止?」と戸惑った。
「もう、私の好きだったあの『魂に突き刺さる詞と音』を鳴らすブージーはいないのかも」
と幻滅。しばらく音源は集めず、ライヴにも行かず、静観していた。
2014年11月21日、私は気が変わって、久しぶりに
ブージーのライヴに行ってみようと思い立った。
会場は札幌COLONY。ここは、10年近く前、私が初めて彼らのライヴに足を運び、
鮮烈な洗礼を受けた場所である。
その日は冬で、Vo/Gtの鈴木由紀子氏(以下由紀子さん)が酸欠でぶっ倒れるという
とんでもないアクシデントが起きるという、インパクトのありすぎる出会いだった。
激情の演奏、叫びながらも正確で巧い歌、Gt/Choの笈川司氏のグレッチが鳴らす
豊かな響きのギター・・・・・・私は一発で虜になってしまった。
由紀子さん――あの頃は「ゆっこちゃん」――は、一種の聖域というか、女神というか、
我々の一段上に立っている存在だった。
彼女はそういうカリスマ性を備えたヴォーカリストなのだ。
あれから10年余りが経った。期待外れになる覚悟をかなりしながら、
この倦んだ日々のなかに何か刺激が得られないかと、「賭け」にも近い気持ちで
チケットを買い、何年かぶりにライヴハウス「COLONY」に足を運んだ。
そこには、あの頃と変わらない熱気があった。
10年前の曲を2曲演ったとき、あの尖っていた頃と寸分違わぬ激情と真摯さとが
剥き出しになって表れてきて、私は心底ほっとした。
でも、聞き慣れないポップで楽しい曲調の新譜たちをメインにした演奏にも、
違和感は不思議となかった。寧ろ、「丁度良いな」と感じた。
観る側(聴く側)も、演る側も、歳をとったということなのだろう。
そして、ブージーというバンドは、無理なく自然に歳を重ねて、音を奏で続けている。
10年が経ち、私も歳を取ったし、周りの観客は若い子からシニア層までいた。
ステージ上のメンバーも歳を重ね、変わらないようで、少し落ち着いた感があった。
Ba/Choの旭司氏は、相変わらず黒ずくめで、ニコニコで、「変わってないなぁ」と
可笑しくなってしまったけれども。(ちょっと体型が豊かになったかな?)
でも、それが、「自然に楽しく、でも熱量は変わらない」時間を過ごせた理由だと思う。
楽しかった。メンバー4人と一緒に私(たち)もたくさん笑い、頭を振って踊った。
ただ、少し淋しいのは、私も含め長年のファンは、どこかで昔の面影を求め、期待して
今の彼らを受け入れている、受け入れようとしているということだ。
昔の曲のイントロが流れると、会場の雰囲気が一気に変わる。
待ち望んでいたというように。
「あの頃のブージー」がやっと表れた。そんな本音が、率直な身体の反応で露わになる。
だから、以前なら絶対になかった、由紀子さん自ら物販でグッズを捌く姿は、
ありがたさと同時に、何かやるせなかった。
大袈裟に言うなら、女神が地上に降りて同じ人間として息を吸って、目の前にいるのだ。
普段はバイトでもして生計を立ててるんだろうな、何してるんだろうな、
そんなかつてはタブーだった想像を、容易にしてしまう自分に戸惑った。
身近なのはいいけど、幻想が壊れるようで少し興ざめ、というやつなのだ。
今でもファンの多くは、由紀子さんに対して、一種の夢を見続けているのだと思う。
その夢や幻想ゆえに足を運んでいるファンは決して少なくないはずだ。
そして、それが、今でも変わらず、ブージーの大きな魅力のひとつなのである。
<CDレビュー・感想>
さて、やっと音源の話をする。
![]() | ナポリタン・レモネード・ウィーアーハッピー (2014/06/18) BUGY CRAXONE 商品詳細を見る |
6月にリリースされた音源だが、対バンのMCによると、今回参戦したライヴは
本作のレコ発ライヴだというので、ライヴ後に思わずその場で買ってしまった1枚。
タワレコででも買えばポイントも貯まるのに、ライヴの勢いで、今すぐ買わずにいられず、
つい衝動買いをしたのだ。
けれど今は11月・・・・・・レコ発って本当なのか?勘違いして買っちゃったんだろうか?
家でリリース日を確かめて以来、ずっとモヤモヤしている。
でも、2,700円はたくだけの価値はある良作だったから、モトは取れたので、よしとする。
・軽快だけど思考停止じゃない
近作に対して「ユルすぎない?」と感じていたとは序盤にも書いたが、
本作「ナポリタン・レモネード・ウィー アー ハッピー」は、
軽快なタッチな中にも、ほどよい重厚感、密度が戻っているように感じられた。
80sのガールポップを思わせる、ちょっと懐かしいテイストを纏いながら、
子どもか頭の足りない人(失礼)が書いたかのように見せかけた歌詞を綴りながら、
決してそれは思考停止にはなっていないと。
以前の彼らは、「世知辛い」「生きにくい」と正面から歌い、奏でていて、
我々ファンはその姿に、信仰に近い愛情を抱いていたのだけれど、
時間が経ってメンバー4人(メンバーチェンジ含め)が大人になったことで、
「そこまで根を詰めて考えたってしょうがないでしょ」
「生きにくいけど、世知辛いけど、楽しくやっていこう?」と
シンプルな生き方に辿り着いたように感じられる。
また新しいかたちで、自分の今いる大地を見据えて、
そのうえで軽快にダンスしていることがわかる音楽になった。
・音楽的アプローチも変えていく
音も詞も客観的になり、ゆとりが生まれた。
魂がどうとか、なぜ生きる・どう生きるとか、そういった感情の追求ばかりでなく、
音自体を「楽しむ」要素が増えている。
シリアスな曲調のパンクロックから、メジャーコードを多用したロック/ポップスへ。
以前にはなかった、80sシティ派ポップスみたいなジャジーな#4
「のー ふらすとれーしょん」といった楽曲もみられて、耳でも楽しい。
また、由紀子さんの歌に対するアプローチも変わった。
以前は刺すような少年性で勝負していて、多くの曲の一人称は「僕」「ボク」だった。
それが何年か前から少しずつ変わっていって、ロックをがっしり歌い上げるよりも
コケティッシュな少女性を前面に出し、結果、角砂糖みたいに甘くサラサラ透き通る、
ヴォーカリストとしての新しい魅力を引き出すことに成功している。
・少年少女の感受性をもったまま大人になるということ
哲学的ですらあった初期~中期から変化して、近年の歌詞は「あえて軽快」だ。
考えていないわけじゃない。
例えば#5「わかってきたよ」では、こう歌っている。
ひとりひとりちがうってことを
やっとわかってきたとおもうの
どんなこともやるってきめて
ジャンプしたらむげんのせかい
Live いきてるってこと
Life たのしむってこと
若いバンドがこんなことを歌っていたら、「世間知らずのスカスカなバンド」だと
苦笑混じりで通り過ぎられてしまうだろう。
これは、それまで気を張った表現をしてきた、真っ正面から対峙しすぎてきた
ベテランのバンドが今ようやくこう歌うから説得力があるのだ。
ひらがな、というのも、これまた肝要だと、音源で聴くとわかる仕掛けである。
「Live 生きてるってこと」じゃ、この声やこの曲には重たすぎるし、説教くさくなってしまう。
彼らの現在のスタンスがよりわかるのが、#7「GO GO シリアス」という緩やかな曲。
なんかおかしいし なんかくるっている
そんなことくらい さぁ こえてすすめ
GO GO シリアス
これがせかいさ
花のようにじぶんのように
せかいをみてられたら
あとは上出来だと笑っちゃうの
世界はおかしいとも狂っているともよくわかっていて、
そのうえで奏でる「ウィー アー ハッピー」な音楽なのだ。
これは新たなる立ち向かい方、少年少女の感受性を持った大人のやり方。
心地よく、でもずっと、転がり続けていく。ライク ア ローリング ストーンってやつだ。
このバンドらしい、新たな地平が広がっている。
・実は今が一番売れてる
Wikipediaを見ると、驚くことに、近年~現在の方向性が、過去のどの時期よりも
オリコンチャートの順位が良いのである。
メジャーレーベルに属していた90年代後半~00年代前半、
北海道の大規模なロックフェス「ライジングサン・ロックフェスティバル」の出場を果たしたり
怒髪天主催のレーベル「「Northern Blossom Records」に所属になった00年代中盤よりも。
このバンドは本当に山あり谷ありだと思う。
メンバーチェンジも多いし、音楽性もよく変わるし、安定するということがない。
そんな彼らが、15年近くやり続けた今、セールス的に最盛期にあるなんて。
思えば先日のライヴで観客の層が広かったのはそういうことかもしれない。
観客も60人くらいびっしりと埋まっていて、「もしかして客、増えてない?」と驚いた。
こんなことがあるものなのか。
てっきり斜陽の道を辿っているものとばかり思っていたから(自分のアンテナに
引っかからない、変化を受け入れられないという理由だけで)、未だに信じられない。
確かに、より、万人が入っていける音楽になった。
10年前くらいの時期の作風に思い入れが強い私はまだ戸惑いを隠せないけれども、
これが彼らの現在なのである。
長くやっていくというのはそういうこと。
柔軟で、変わり続けていきながら、
変わらずもあり続けるということなのであろう。
こんなに長く活動していられて、愛され続けていられるなんて凄いなぁと、
あの日出会った場所で、私は感無量になっていました。
その理由こそ、「空っぽ」だと思っていた近年の作品に、
めっきり足が遠のいていたライヴにあったのは、
まさに「百聞は一見にしかず」でした。
たった一夜のライヴ、たった1枚のCDに、
私はあまりにも多くのことを教わったのです。
一人でも多くの人に、彼らの音源やライヴに触れてほしいと
今でも、今こそ、強く願ってやみません。
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