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【書籍】柴崎友香「春の庭」感想【芥川賞受賞作】
ある春の日、文藝春秋系列の「文學界」という雑誌を買ってきました。
![]() | 文学界 2014年 06月号 [雑誌] (2014/05/07) 不明 商品詳細を見る |
まだなかなか、「文學界」の硬質さに慣れることができずに、やっと一篇の作品に
手を付けて、「あっ読めそうかも」と馴染みはじめていた、そんな7月半ばでした。
大事件が起きた!
今まさに読んでいるところの、その作品が、芥川賞を受賞したという報せが
電子書籍アプリのメールマガジン経由で入ってきました。
6月に雑誌に掲載されたばかりの作品が! まだ単行本にもなっていないのに!
驚きばかりです。こんなことってあるんだ?
「春の庭」を半分超くらい読んだ7月30日、「すばる」を買いに書店に行ったら
まさかのまさか、もう単行本が出版されて、特設コーナーまであるじゃないか。
![]() | 春の庭 (2014/07/28) 柴崎 友香 商品詳細を見る |
この仕事の速さにもびっくりでした。素晴らしい、という意味合いですけど。
ただ何だか悔しくて。「文學界 六月号」でしか読めないんだぞ、と
ちょっと自慢げだったのが、自慢できなくなっちゃったようで。
それで、その日と次の日で一気に全部読み終えました、「文學界 六月号」で。
意地で読み進めたとはいえ、これがあっという間。
あまりにも面白かったので感想を書いてみることにします。
どうぞ。
・大概の出来事は家か近所で起こる
文章自体はサラッとしていて、読みにくいことはない。
しかし、最初に読んだ印象は「なんかネチネチしてる」だった。
その理由は、特定のものにこだわった描写、そして展開だ。
主人公・太郎が暮らす築30年強の、もうすぐ取り壊す予定のアパート、
その隣の家、その隣の家、その隣、アパートの向かいの大家さんの家・・・
特に、太郎の暮らすアパートと、近隣の「水色の家」。
物語の大半は、この、ごく狭い範囲で、延々と展開される。
家の様子も、細かく細かく描写される。
どこまでこだわるんだ、という具合に。
太郎は、同じアパートに住む風変わりな女性・西と出会い、物語が展開していくが
この西という女性が、「水色の家」にえらく執着しており、
毎日朝夕「巡回」をするというストーカーばりの行為を行うほどである。
舐めまわすようにねちっこい展開や描写は、西の眼差しによく似ている。
・不気味極まりない女性・西
太郎は比較的淡泊で物事にやや無頓着な普通の男性だが、それと対照的に、
西は、悪い意味で強烈なインパクトを与える。
見た目は無頓着というかエキセントリックで、性格はさきに書いたように粘着質。
言動もそこはかとなく不気味で、どこか狂気じみている。
この強烈な女性に、太郎はなぜか巻き込まれ、気づけば感化されていく。
ふたりは近づくが、恋愛関係や、それに似た感情を抱いたりは決してしない。
でも徐々に親しくなり、同じ価値観を共有するようになる。
そして最後には、彼女の狂気を太郎が引き継ぐようなかたちで、幕を閉じる――。
・一気に読ませる「転」からの展開、静から動への情熱の暴発
起承転結でいえば「転」の部分から、一気に急展開となる。
これがスピード感があって、一気に読んでしまうのだ。
おいおい、そんなこと企んじゃっていいの?
おいおい、本当にやるの、お、おいおい、予定より酷いことになったよ、
えっ、それでもやるの?
語り口は変わらずサラッとしているが、出来事や、太郎の動揺、西の熱気(狂気)に
読み手のこちらが興奮してしまい、あっという間だ。
淡々とした語り口の、静かな作品だが、西を触媒に、太郎のなかに秘められていた
熱いものが目覚め、それまでのような冷静さを保てなくなる。
そして太郎も西のように、常識でなく情念で行動する、静かな狂人となる・・・
・あちこちにトラップがあって、驚きっぱなし
「結」部分にも意外性のある仕掛けが待っている。
この物語は、冒頭からほぼずっと一貫して三人称で語られているのだが、
ある部分で唐突に「わたし」による一人称の語りに切り替わるのだ。
「え? 誰?」と、読み手は戸惑う。
答えはすぐにわかるが、「なるほど!」と唸らされる。
「承」にあたる部分で、太郎と西が居酒屋で語り合う場面が複数回出てくるが、
そのたびしばしば、太郎の視点で描かれていた物語が、西の物語に切り替わる。
ここで読み手は「ん?!」となる。
読み始めは「地味な作品」という印象の「春の庭」は、
読み終える頃には「異様な作品」という風に、圧倒されてしまう。
物語でも、文章でも、巧みだ。芥川賞を取るべくして取った作品なんだなと思う。
・地方の住宅地で生まれ育ち、都会でわざわざボロアパートに住んでいるふたり
太郎と西には、共通する原体験がある。
それは、地方の、同じような建物がズラッと並んだマンションの、
比較的高めの階で生まれ育ったということ。
クラスメイトも40人超えしていたこと。
これは多分に、世代的なものがあるだろう。
その反動か、ふたりは東京に出て、築30年超えの、2階が最上階の、
もうすぐ取り壊されるアパートをわざわざ選んで越してきた。
この落差が何ともシュールだし、皮肉を感じたりもした。
越してきた理由はそれぞれだが、ともかくふたりともそれなりにうまくやっている。
しかし、住人は次々と出ていき、西も、やがては太郎も、出ていかなくてはならない。
次項にも繋がるが、一抹の無常感が漂う。
だからこそ太郎の心の隙間に、西の「水色の家」への執念が入り込んだのだろう。
・シュールでオルタナティブな世界観
本作の舞台は、東京のなかでもにぎやかな地域(どこかは明記されていないが)。
ボロアパートもあれば、大邸宅のような豪華な家もある。住人の世代もばらばら。
そこで取り壊されるボロアパートに住む太郎たち。
ある日太郎は観察する、東京ではたくさんの建物が建って、たくさんの建物が取り壊され、
たくさんの空き家がある様子を。
現実にも、例えば渋谷駅周辺は4年がかりで壊して建てて、大掛かりな再開発をするという
ニュースをついこの間TVでやっていたっけ。
そんな現代の都市事情にも目を配りながら、本作がこだわりぬいたのは、
「昭和の頃に建てられた、謎めいた家」や「ボロアパート」である。
だからといって懐古趣味や昭和ロマン礼賛にもならなくて、
あくまで「来る者拒まず去る者追わず」の姿勢だ。それは太郎の生き方によく似ている。
でも、こんな生き方もある、こんな暮らし方もできる、と提示しているのは間違いない。
どこかいびつでヘンテコリンで、世間の常識に囚われない、逆らうような、太郎たちの姿に
読み手は考えさせられる、もしかしたら魅せられる。
文学を読むよろこび、映像でもなく漫画でもなく「文章」が与えてくれるおもしろさ。
そういうものを単純に思い出させてくれる作品でした。
小説ってこんなに楽しいものだったっけ。
読んでいくほどに、目が開けるような感覚。
文学にはこんなことができると、さりげなくも力強く、見せつけられたような気がします。
これだから文学を読むのはやめられないんですよね。
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