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GP CAR STORY Williams FW14B「あの頃のF1オタクは必読のシリーズ!伝説のクルマの悲喜こもごも、すみずみまで見逃さないで」
本が出てるらしい」という情報を最近ネットで得て以来、もう、そわそわ。
どうも昨年の本らしいとも聞いたような聞かなかったような気がするのですが
どっちにせよ読んでないんだし関係ない。
買うか?!その前にまずは立ち読みして、面白かったら買おう。
そんなわけで早速近場の書店でその書籍を発見、かじりつくように読むも・・・
![]() | GP CAR STORY Williams FW14B (SAN-EI MOOK) (2013/03/07) イデア 商品詳細を見る |
「あの頃滅茶苦茶印象的だった・速かったマシン」のムックシリーズで、3冊しか出ておらず
他のラインナップはこんな感じ。
![]() | GP Car Story vol.01 マクラーレンMP4/4・ホンダ (SAN-EI MOOK) (2012/06/07) 不明 商品詳細を見る |
![]() | GP Car Story vol.02 フェラーリ641/2 (SAN-EI MOOK) (2012/11/07) 不明 商品詳細を見る |
セナ、プロスト、マンセルと、いわゆる「BIG4」(アレ、ピケさんがおらんぞ・・・)が
揃い踏みで、特にMP4/4とFW14Bはどちらが最強マシンだったか未だにYahoo!知恵袋等で
ああだこうだ議論されているほどですよね。
MP4/4はドライバーの力に依るところが大きかったのではとか(セナプロ。贅沢過ぎ!)
FW14Bを作った頃のウィリアムズが、のちのシューマッハーのフェラーリなど、
現代に繋がる「マシン、ドライバー、エンジン・・・総合力で勝負するスタイル」のおおもとに
なっているだとか。この本にもその辺色々書いてありますから、専門的な話はここでなくて
詳しい本やサイトをあたっていただければ。
FW14Bってこんなクルマ。

ゴーカイな走りと、猪突猛進タイプでちょっぴり天然?なキャラが日本でも人気だった
ナイジェル・マンセルが、腕力と知力と思い切りを発揮してチャンプまで獲ったクルマ!

後に書きますが、乗りこなすのはマンセルには及ばなかったものの、のちのチャンプ・
デイモン・ヒルと共に開発に尽力した「最強のセカンドドライバー」リカルド・パトレーゼ。
この本で初めて知ったのですが、FW14Bは、92年シーズンの序盤だけ暫定で登場してもらい
中盤からは新車のFW15の出番だったはずが、いざ走らせてみるとFW14Bが凄すぎると判明、
シーズン通して使い続けることになったと。数戦だけの暫定車が、天下取っちゃったわけです。
なんか映画や小説に出てくるエピソードみたいに劇的すぎるわ、よくできてるわ。
で結局FW15はその間も開発が進み、FW15Cとして満を持して93年に登場することになります。
そんでまた圧勝すると・・・
そして、このマシンは、現代のF1でも活躍しているという恐ろしき天才デザイナー・
エイドリアン・ニューウェイの作品というイメージがあったのですが、
読んでみると実はパトリック・ヘッドの功績がかなり大きいのだと。
やや保守的なヘッドが、時に過激なまで先鋭的なデザインに走るニューウェイを
うまくセーブして、例えば空力はニューウェイに任せて他の部分は・・・といった具合に
ヘッド中心にまとめあげてつくったクルマだった、というのが真相のようです。
この本を読んで一番意外だった点かも。
でも、前年のクルマでFW14Bのプロトタイプの、FW14の時点で、マシンのコンセプトは
既に完成されていて、実際に91年は大いにマクラーレンを脅かしていました。

91年シルバーストーン。ガス欠でストップしてしまったセナをタクシーしながら
ヨユーのウイニングランのマンちゃん。セナとマンセルの名場面の一つですね。

FW14はなぜかカラーリングが3種も変わっていたそうで、序盤の頃はこんな感じでした。
序盤は信頼性がイマイチながら、パトレーゼがブラジルで2位。セナが優勝してめちゃめちゃに
泣いていたあのレースです。
92年はウィリアムズFW14Bがあまりに強すぎて、こういう光景が日常になってしまい、
F1離れを起こしたファンもいたようで・・・

右側の髭のおじさんがマンセル。マリオをリアル人間化するとマンセルになるって本当?
そして、左側で喜びつつも、微妙に複雑な表情を浮かべているのがパトレーゼ。
この本における二人の描かれ方があまりによく出ている画像。
モナコでセナが勝たなかったら、表彰台では↑の光景がずーっと繰り返されるばかり
だったはず。あのレース「絶対に抜けないモナコモンテカルロ」がドラマティックなのは
そういう背景もあったのです。
モナコといえば、最後にマンセルがヘロヘロになり、立つこともままならなくなって
路上に座り込んでしまう姿もありました。
オンボードから見える挙動が驚異的にスムーズなのもあり、さぞかしスイスイとドライブ
しているものかと我々には映りますが、実はあれこそがFW14Bを乗りこなす本当の大変さが
表れた場面だと、後半のマンセルインタビューで語られています。
ハイテクマシンに見えて、実際には腕力勝負、体力勝負のマシンだったようです。
また、セナの映画で91~92年が描かれるとき、セナはドライバーでなくマシンやチームに敗れた
かのように描かれ、VSプロストほどライバル(=マンセル)との闘いが前面に出ていないと
不満を述べていたのもマンセルらしく、これは確かに「言われてみれば」と納得。
実際のシーズンでもそうでしたが、この本のなかで更に強調されて描かれているのが
マンセル>>>>>コース上の塵>>>>>>>>>>パトレーゼ
という位置づけ。本書におけるマンセルageパトレーゼsageは凄まじく、91年からF1観て
パトレーゼを応援してきた私は、本屋でマジで泣きそうになりました。やりきれなくて・・・
同じマシンに乗っているのに、ダブルスコアの差がついて、何とかランキング2位は
取ったけれどそれはセナやシューマッハーに物凄く肉薄されながらの結果で、
ライバルは「マンセルは無理だけどパトレーゼなら追えそう」と言わんばかりに
真っ先に標的にされて、デビュー2年目のシューマッハーに追い回されて・・・
(で翌年はシューマッハーにボコられるわ、チームに虐められるわ、と・・・)
ここまでクソミソに書かれるんだったら、この本はいっそ「マンセルとFW14B」に
特化したほうが、「ポンコツのチームメイト」のことを思い出さなくてすむわ!
パトレーゼの熱烈なファンだという人には勧められない本です。FW14とか、FW13Bの本
出ないかなぁ、出るわけないけど。パトレーゼはそちらのマシンの方がいいですね。
そのうえで余計わからないこと。
よく知られているように、パトレーゼは明らかに(ベネトン行っても)、新兵器・
アクティブ・サスペンションに馴染めず、FW14Bに初めから手こずっていたし、
マンセルはFW14B以前にもアクティブサス経験があった(成功していたかはともかく)。
ドライバーとしての腕だって、どんなに盲目なファンでも「パトレーゼ>マンセル」と
言う奴はいないはず。つまり誰が見たって、マンセルがパトレーゼをかつてのピケばりに
警戒する必要はないんじゃないか?と思われるのですが、
「ふたりなかよし」に見せてきた裏で、マンセルはパトレーゼ側にデータを教えなかったり
嘘を教えたりしていて、パトレーゼがマンセル側の裏切りに気付いたのはシーズン終盤、
マンセル側の「嘘・秘密主義」はフランクなどチーム上層部にまで及ぶほどだったという
マンちゃんのパブリックイメージとかけ離れた政治的な姿がこの本で暴かれています。
「私の好きなマンちゃんじゃないやい!」悲しくなったけど、チャンピオンになるって
こういうことかもしれません。そして、コース上でしょっちゅう譲ったり譲られたりといった
屈辱を強いられて「バカヤローふざけんな!」と言えないパトレーゼもまた、残念ながら
「いいとこ止まり」の器だったということなのかもしれません。
・・・なのに、です。
なぜ、マンセルはそうまでしてパトレーゼを厳戒マークし続けたのか??
blog開設期にマンセルの記事を書いた時は、なにせ観ていない時期なのもあって
80年代半ばのネルソン・ピケとの激しいチームメイト間バトルを知りませんでした。
セナプロは双方の尊敬が根底にあるライバル関係で、最後には美談になるほどですが
ピケマンは、ピケが意地悪さんなのとマンちゃんが冗談通じないタイプのために
ただただ洒落にならない最悪の間柄。二人でやり合っている隙を、プロストにつかれ
漁夫の利をとられてしまうほど。
そんな二人、当初は2度のワールド・チャンピオンを獲っているピケが圧倒的優位。
しかし次第にマンセルが覚醒し、ピケを凌駕する場面が増えていき、泥沼の争いへ。
以降、FW14Bを手にするまで、実力者ではあるけれどチャンプにはいつもなれない、
不運ながらその才覚は多くの人に認められるまでに育っていったのです。
誰も初めは、マンセルがピケと対等に戦えるなんて期待もしていなかったのに。
推測になりますがやはりこの時の体験が、マンセルのトラウマになっていて、
当時の自分と同じ位置にパトレーゼが立つことを、過剰に想像してしまったのでは。
91年のパトレーゼはキレキレで(だからファンになった)、シーズン通算すると
予選で9-7でマンセルをぶっちぎったり、アメリカやメキシコでは「おい、危ないよ、
ぶつかるだろ!!」とヒヤヒヤするほどの至近距離でドッグファイトを繰り広げる
場面がみられたりして、観ているほうにはなかなか面白いことになっていましたが
これがマンセルにとっては「脅威」だったのでしょう。
但しマンセルは後半盛り返し、セナとチャンプ争いまで持ち込んでいるし、マシンの
信頼性も後半の方が良いしで、何だかんだでマンセルの方が「持ってる」のは明らかで
仮に「情報操作」無しで戦っていても普通にマンセルが勝っていると思うんですけどね。
一説には、マンセルは思いこみが激しく、被害妄想が強い人物だという話もちらほら。
それまでの人生が苦労人過ぎたから、悪い方へと物事を想定しがちなのかもしれません。
ただ、一介のパトレーゼファンとしては、「情報操作」なしのガチ勝負だったら
一体どこまで健闘できたのか?史実ほどボロクソにやられたのか?を観てみたいという
興味はあります。もっとがっかりするかもしれないけど。
情報量に少々圧倒されながらも、懐かしくなってその日はYoutubeでF1三昧でした。
甘いにがいあの日の想い出が蘇る、徹底的にマニアックなムック本。
詳細なデータもたっぷりなので、F1オタクの自負がある人にはきっと保存版!
MP4/4や641/2のほうも読んでみたくなりました。
おまけ、シューマッハーファンのあなたへサービス。

92年は初めてシューマッハーが優勝した、記念すべき年!初表彰台は母国ドイツと
めきめき頭角を現してきた年でしたね。
まだまだ幼さが残り、実は結構「イタズラ大好きの悪ガキ」の表情を頻繁に覗かせていた、
今から見ると新鮮すぎる、この頃のシューマッハーは嫌いじゃないです。
そんな彼も引退してしまい、リアルで見たドライバーがいまやひとりもいない現状は
やっぱりちょっと淋しいなぁ。
あ、よかったらFC2のF1動画↓も観てって下さい。このところ全然F1関連記事を書かないから
新作がないので、書庫と化してますけど。たまにまれにチェックしてますんで。
http://video.fc2.com/member?mid=11526797
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F1:その6.6 リカルド・パトレーゼ(後編)「キャリア最後に見たのは、かつての自分の姿だった・・・?過去と現在を繋ぐ”有名な暴言”」
6.6って?実質7ですけど、まぁいいでしょ(笑)
【episode three:「どけジジイ」から始まった意外な縁】
00年代に入った頃に、パトレーゼ(以下、前編と同様パトさん)が会長、
パトさんのファンクラブの代表さんが副会長、
そしてあのミハエル・シューマッハー(以下シューミ)が名誉会長を務める、
F1ドライバー等によるチャリティサッカー団体が出来たようです
(パトさんのファンサイトより。現在はパトさんは会長を退き、「Councillor」職みたい)。
いい歳してチームのキャプテンしてたり、相変わらずお洒落な着こなし披露してたりな
現在のパトさんの様子を窺い知ることができます。
しかし、なぜパトさんとシューミ?
この組み合わせで、ある”事件”を思い起こす人は多いかもしれません。
アンチシューミ派が、シューミを悪く言うときにたびたび出てくる話、
いわゆる「どけジジイ」事件です。
93年、ベネトンに移籍したパトさん、チームメイトはシューミ。
パトさんの経年劣化がそろそろ出ちゃって、シューミに全然かすりもしない日々。
前年のブランドルさんが結構やってくれただけに、こんなはずじゃ・・・。
更に、チームがシューミ中心主義な上、オーナーに冷遇され、踏んだり蹴ったり。
そんなとき、シューミがパトさんに発した台詞が、かの有名な「どけジジイ」で、
何の罪もなくモーターホームを追い出される始末。完全にイジメです。
しかも舞台はモンツァ=パトさんの地元。あまりの仕打ちに、男泣きしたんだってさ・・・
数年後、チャンプを獲った後のシューミがパトさんに再会した時、
「あのときはどうかしていた」
「何であんなことを言ったのか分からない」と、詫びたそう。(「泣いて」説も聞いたことある)
確かに、パトさんの走りぶりは、ファンが絶望するくらい冴えなかった。
しかしですよ、何も「どけジジイ」って言わなくてもいいでしょ?相手は年長!先輩!
当時のシューミのチームメイトは、これ程かは不明ながら、皆冷遇されていたとか。
でも実は、昔々、デビューしたてのパトさんは、チャンプを期待されるほど速い一方で
尊大だわ荒々しいわ運転マナー悪いわと、ドライバーとしてあまりに酷いので、
「お前が出るなら俺達は参戦しない」と、先輩ドライバーから総スカンを喰らっています。
少し後にデビューしたプロストも先輩に「あいつは危険だから気をつけろ」って
焚きつけられていたとか。
そんな時期、レース中に多重クラッシュが発生。死者が出てしまい、
「またアイツだな?」という具合に、パトさんのせいとみなされ、
後年に裁判で無罪が証明されるも、何年も罪人扱いされる憂き目に遭っています。
この一件があって、今に伝わるような「人格者」的な人間へと、成長したんでしょう。
結構、当時の若シューミと似たり寄ったりかそれ以上のこと、してるんですよねぇ。
チームメイトにも似たような態度、取ってたんじゃないかなぁ?
だから、かつての自分を見てるような気分も幾分あったんじゃないかと。
それで許したんじゃないかと私は思います。
「シューマッハー」というブランドが、団体運営に有利に働くという考えも
あったかもしれないけど。
少なくとも、それからは、うまくやってるんじゃないでしょうか。
さきに紹介したサッカー団体HPの写真でも、ガッと仲良しポーズしてたり、
シューミの走りがアンフェアだとされて問題になった時、擁護する発言をしたり、
ベストなドライバーは誰かと聞かれた時、回答が「セナとシューマッハー」だったりなので。
そう信じたい・・・
パトさんファンは、シューミを受け入れるのに、相当の「努力」が必要なのです・・・。
<my favorite race>
パトレーゼというドライバーの、こんなところが好き。
例えば91年メキシコ。チームメイト同士でぶつかりそうになるくらい熱いバトル!
これと同年ブラジルは、今でもやけに鮮明に覚えているんです。
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そして92年ドイツ。無難に3位を守りに行かないで、あえて攻めたところがカッコイイ。
92年のパトさんは守りのイメージが強かったから、この名バトルは意外ですらあった。
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渋くてカッコイイだけでなく、時に激情的な走りもちゃんと魅せてくれる。
「最強のセカンドドライバー」でありながら、エキサイティングに攻めるドライバーでもある。
そこがやっぱりいい!
【episode four:人格者イメージだけでくくっちゃダメよ】
全体的にちょっと綺麗に書きすぎたから、最後は軽~く貶してみよう!
綺麗なだけの人間なんて、いないんだぞ!!!
①パトさんってかなりのキレっぱや。若い頃からそうだけど、
ベテランになっても、モデナにキレたり、ベルガーにキレたり、
コントロールタワーに怒鳴り込みに行ったり・・・やっぱりイタリアン!
②パトさんが清廉潔白だと思いこんじゃいけないぞ。実はコネがあるんだ。
F1界のお偉いさん、バーニーさんと仲良しだ。
同じユダヤ系繋がりと、ブラバム時代の監督&ドライバー繋がりだ。
256戦もずっとシートを失わずにやってこれたのは、この人のおかげかもしれないね。
③パトさんはF1デビュー当時、なんと現役大学生だった!経済学部だったとか。
兵役逃れが目的だったらしい。
④パトさんは趣味がたくさん。好きな音楽はクラシックと、およそレーサーとは思えない♪
読書も好きだし、有名な話だけど鉄道模型は世界的コレクター。
スポーツは、スキー、サッカー、テニス、乗馬、他オールラウンダー。
なかでもスキーは、イタリア代表になりそうなところまでいってて、
スキーの訓練の一環でレースしてたら、気がついたらF1に来ちゃってたよ!
⑤パトさんはイケメンのくせに、ほんとはピケやベルガーよりもひどい女たらしなんだぞ。
パドックで大人気の綺麗な奥さんがいても平気で女遊び、一夜だけの関係が好きみたい。
そして近年、若くて綺麗な新しい奥さんとの間に子どもがいるって!リア充もほどほどに!
おまけ。Youtubeで有名になったやつ。一緒にいるのが新しい奥さん。
「サドレーゼ」ってつけたの私ですwだってサドいもんwww
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ふ~。ようやく、F1編を書き終えましたよ。おかげで連日寝不足になった(笑)
でも、「(あの頃の)F1がなぜ、どんなふうに面白かったのか」が
少しでも伝わると嬉しいと思い、渾身で取り組みました。
ドライバーそれぞれに個性、物語があり、甘い成功も苦い挫折もある。
テクノロジーの宝庫、F1。ワクワクさせられる、F1。
一方で、カネや政治やエゴや運や駆け引きなど、人間の業を抜きでも決して語れない、F1。
私がこの企画の最後をパトレーゼで締めくくったのは、そんな「名マシン」「清濁」「喜怒哀楽」を
一番体現しているドライバーだと思ったから。
幼い日、このスポーツに出会えて、本当に良かったと
いま改めて思います。
F1:その6 リカルド・パトレーゼ(前編)「30代半ばからのサクセスストーリー!セカンドドライバー界のカリスマ」
(流石にセナ→プロストは考えた。連載中盤で、パトレーゼをトリにすることに決めた)
想定外の奇蹟が起きました。
カーナンバー「6」が目印のリカルド・パトレーゼに、6回目をあてがうことができた!!!
やったーーーーーー!
このドライバーは連続出走記録を長いこと持っていて(現在は歴代3位)
「鉄人」のあだ名でおなじみ。
つまりそれだけ、歴史が長く、エピソードも多いわけで
熟考したあげく、前後編にすることにしました。
前半は「史上最強のセカンドドライバー」と呼ばれてきた時期を中心に
印象的なエピソードを挙げていきます。
最近思うのですが、よく「パトさん」「パト様」って呼ばれていますが
日本以外でもこのような扱いってされているんでしょうか?
優勝経験6回の、セカンドドライバーとして有名な人がですよ?
「いぶし銀」「イケメンオヤジ」などは海外ものを訳した本でも見ましたが
日本じゃ、ある意味、セナみたいな神格化をされてません?
想像するに、パトレーゼ(以下パトさん)の、黙々と自分の役割を全うする姿勢が
日本人の感性にピタリとはまるんじゃないかなと。
私もパトさんがリアルタイム以来大好きですが、なぜかというと、
ファーストの皆さんの「俺が俺が!」イズムがちょっと苦手だったんです。
マンセルの回で、弟のマンちゃん好きを書きましたが、マンちゃんも当時は
「このわがままめ!」って印象だったな・・・今は面白いけどw
それで当時はパトさん、ベルガー、アレジ辺りを応援していました。
子どもの頃からひねくれてるのだろうか・・・それとも、上のきょうだいの性質?
【episode one:イタリア人には母国GPは・・・あった!】
セナの回で、91年母国ブラジルGPで優勝して大号泣する動画がありましたね。
そこでの表彰台のシーン、2位のパトさんがセナに何か話しかけています。
どんなやりとりがあったか定かではないですが、想像するに、これから書く
「前年の、自身のなかなか勝てなかった母国GPでの勝利」の経験が
眼前のセナと被って、祝福の言葉をかけてあげたのかな?という気がするのです。
セナはあんまり聞いていませんが(苦笑)
パトレーゼは(ユダヤ系)イタリア人。従ってイタリアが母国で、
モンツァやイモラ(「サンマリノ」GPと言いつつ、実はイタリアにある)は
母国GPにあたります。
しかし、イタリア人のF1ファン=ティフォシ達の優先順位は
母国ドライバーよりも、母国チーム、つまりフェラーリ。
日本で「マクラーレンホンダ(エンジン)」や「レイトンハウス(チーム)」が
結構応援されながら、同時に中嶋や亜久里や右京もしっかり応援されていたのとは
だいぶ事情が違うようです。
悲劇は83年、イモラでのファイナルラップで起こりました。
トップを走っていたパトさん、痛恨のスピン、リタイア。
そうしてフェラーリのマシンがトップになり、ティフォシはやんややんや、
パトさんには罵声が浴びせかけられたと・・・
失意のパトさん、「イタリア人には母国GPは無い」との悲しい名言を残し
その後はトップを走れるようなチームにはなかなか在籍できず、
「パトレーゼのキャリアはもう終わりか?」というような、冷や飯の日々が続きました。
転機の訪れは88年(正確には87年末)、ウィリアムズへの移籍。
移籍初年度はイマイチでしたが、翌89年からは、それまでが嘘のような活躍を
みせはじめます。
セナプロ鉄壁マクラーレン時代に、フロントローをもぎ取ったり、
優勝こそしないもののコンスタントにポイントを重ねて、
セナプロに次ぐ、年間ランキング3位につけたり!
気がつけば、相棒「振り向けばブーツェン」を戦績で上回ってしまいました。
コンストラクターズでもマクラーレンに次ぐ2位。
持ち前の開発能力を発揮して、マシンもじわじわと良くなっていきます。
そして迎えた90年イモラ。
いろいろあって、フェラーリが2台ともリタイア。応援する対象を失ったティフォシは
トップを走るパトさんに、やんややんやの大声援!
優勝するのも久しぶりだけど、まさかあのティフォシに大声援で迎えられるなんて!
ファイナルラップ、職人肌の36歳は、バイザー越しに涙を流していたそうです。
一度ツキを逃し、下り坂に踏み込んでしまうと、殆どのドライバーはそこでおしまい。
下って、下って、下り続け、気がつけばもうF1には乗れるシートがない・・・
「史上最強のセカンドドライバー」という実績も素晴らしいですが、この
「30代半ばにして、まさかの再浮上」は、もっと評価されていいと思うんです。
【episode two:アクティブサス開発の功績と悲劇】
91年までは、セナ/マクラーレンが辛うじて優勢でしたが
翌92年から、「ウィリアムズ黄金時代」とも呼ばれるほど
ウィリアムズのマシンは「退屈なほど」圧倒的な速さを誇るようになりました。
この時代に、マシン開発の中核を担ったのが、パトさんと、
当時テストドライバーだったデイモン・ヒル、そして
現在も活躍中の天才デザイナー、エイドリアン・ニューウェイでした。
91年末には出来上がっていたFW14Bは、他を寄せつけない激速マシン。
プロストの回で書いたように、セナもプロストもこぞって乗りたがり
ストーブリーグが大荒れになるほど。
しかし、同じくプロストの回にも書いたように、このハイテクマシンは
とっても速いかわりに、とっても扱いづらいという欠点がありました。
「アクティブサス」という、パトさん達が開発したハイテク兵器は、
マシンの速さを限界まで引き出すことができるのですが、
独特の挙動があって、ドライブする側としては限界が掴みづらい。
更に、強靱な腕力、体力がドライバーに要求されました。
92年のマンちゃん、いやこの年なら「マンセル」は、いつになく本気。
体重を絞り、厳しいトレーニングをし、いつもは乗り気でないテストにも
積極的に参加していました。
マンセルは大柄で、剛胆なドライビングが持ち味、細かいことは気にしない。
加えて、実は大学で航空力学を専攻していたりして、技術的な面にも明るく、
「限界が掴みづらい」アクティブサスを、独自の解釈で攻略。
全てが、マンセルの為にあるような年でした。
最強のマシンに乗って、悲願のチャンピオン、いつものポカも殆どなし、
チャンプのまま惜しまれて引退・・・と、寧ろマンセルらしからぬシーズン?
表彰台はほぼいつも、マンセルとパトさんのウィリアムズコンビで、
コンストラクターズもぶっちぎりのチャンピオン。
「史上最強のセカンドドライバー」の称号は、この年に付いたといえるでしょう。
パトさんは徹底的に後続をブロックし、マンセルの優勝に「献身的な貢献」。
・・・しかし、マンセルがシーズン最多勝記録を樹立する傍ら、パトさんは鈴鹿の1勝のみ。
91年は序盤からマンちゃんに予選7連勝したり、メキシコとポルトガルで2勝を挙げたのに。
大きく水を空けられ、ジャーナリスト達に「マンセルが勝てるのになぜ勝てないのか」と
言われ続ける羽目に。
自分で開発したアクティブサス。パトさんは、皮肉にもそれに馴染めませんでした。
翌93年にはプロストやヒルがそれなりに乗りこなし、一定の勝利数を挙げたために
余計に「なぜパトレーゼだけダメだったのか」と、残念な評価に繋がって・・・。
ほんとは91年のFW14(アクティブサスがないマシン)が合っていた、と
自分でも言っているパトさん。
でも、自分のスタイルには合わなくても、良いタイムが出る以上、開発に加わるしかなかった。
91年の活躍があまりに眩しく、ベストシーズンといえるようなものでしたが
チームのベストシーズンとはズレてしまった・・・
こんな辺りが「セカンド」たる所以なのでしょう。哀しいけど。
そして最近、更に残念な事実を知りました。
パトリック・ヘッド曰く、92年ウィリアムズは、マンセル&担当メカニックがグルになって、
パトさんをマークして、嘘の情報を教えたりしていたって・・・。
チームオーダーが露骨になっていった、というのは何となく知っていましたが
そこまで偏った環境にあったなんて・・・。
差がついた原因は、「アクティブサスが合わない」だけではなさそうですね。
ここまで知ったときは「哀しい」じゃなく「悲しい」になっていました。
シューマッハがベネトンやフェラーリでやってきたことと変わらないじゃないですか!
まぁ、チームがこうしたのは、パトさんが来る前、マンセルとネルソン・ピケが
ウィリアムズで、激しいチームメイト間争いを繰り広げ、そのせいでチャンプを逃した
(プロスト教授がしっかりかっさらった)苦い経験があるからでしょうが。
それにしたって・・・
マンセルの回を書いている時は、このエピソードを知らず、「チームワーク感が好き」なんて
書いていましたけど、今となってはその気持ちも微妙なものになってしまいましたね。
けど、この「ほろ苦さ」こそ、パトレーゼ。
「いぶし銀」といわれる渋いかっこよさは、こういった苦境の中で培われた賜物でしょう。
そうして、92年でウィリアムズを去って、93年からはベネトンへ移籍し
ウィリアムズで「何とか御してきた」シューマッハとチームメイトに。
似合わない黄色のレーシングスーツを見た時、何だか嫌な予感がしたのを
今でも覚えています・・・
まるで、セナの似合わないロスマンズカラーに違和感を覚えたのと
似たような感覚で。
まさか「死ぬよりつらい」思いをすることになるとは・・・・・・
この続きは次回、後編で!
今回の前編で書いた「表の顔」とはちょっと違った「裏の顔」、
そして、過去と現在とが不思議に繋がる物語をお送りします。
F1:その3 ゲルハルト・ベルガー「あなたはいくつ許せる?ベルガーのいたずらリスト、採点付き。☆5つがMAXです」
またしてもお笑い要員系愛されキャラだ!
ゲルハルト・ベルガー、彼はセナのチームメイトかつ無二の親友で、
究極の女たらしで、なかなか見た目もよくて・・・と
当時、(日本では)セナと二分するほどの人気があったとか。
プロストやマンセルのファンもそこそこ多かったはずなのを考えると、
これは女性ファンの話かな?
だけど、ベルガーといえば、もっと「らしい」面がありますね。
そう、い・た・ず・ら!
「ベルガー いたずら」でググったら、2chのスレで
「何か起きたら全部ベルガーの悪戯にするスレ」なんてのがあったり
(例えば、この記事を書くにあたって、かなり手こずって寝不足になったのも
ベルガー関連の動画編集でRealPlayerがおかしなミスばっかりしでかしたのも
全部ベルガーのせい、といった具合。しかも今のは全部実話w)
「モータースポーツ用語でしりとりするスレ その3」というスレが
199レスあたりから、なぜかベルガーだらけになっていたり・・・
こういうものを見て、夜中にヒーヒーいって腹筋崩壊しながら
頭の中では着々と、「ある試み」のイメージが構築されていました。
F1記事を書いていこうと決めた時に、結構早い段階で構想が出来ていた企画。
Wikipediaのベルガーのページや、2chのオールドF1スレの書き込みなどを参考に
ベルガーのいたずらリストを作成!
更に、危険度、罪深い度、ざまあ度などを、独断と偏見で☆で評価してみました。
Wikipediaからのコピペを基本に、時系列順に見ていきましょう。
なんかいたずらを通り越して犯罪になってるものも多いんですが・・・
さぁ、スタート!
【ベルガーのいたずらリスト】
1985年、ツーリングカーのBMWチームで同僚だったロベルト・ラヴァーリアとレンタカーに同乗中、
ラヴァーリアが運転中の車のキーを突如引き抜く。
二人が乗る車は道路脇の土手にぶつかるまで止まらなかった。
危険度:☆☆☆☆☆
それ、普通に交通事故だから!
1986年のベネトン在籍時のこと、180cmを越える長身が仇となり
レース中にヒジやヒザをコックピット内壁に強打することが多かったベルガーを
見かねたチームスタッフは、ベルガーにニーパッドとエルボパッドを付けさせて
レースに出走させていた。
ざまあ度:☆☆
ちょっとかわいそうなような、かわいいようなw
1989年、炎上事故により入院するハメになったが、
病室を訪れた取材陣の前でマクラーレンのステアリングを握りながら
大あくびをするパフォーマンスを披露する。
ざまあ度:☆
五体満足で生還できて良かった。取材陣、病室まで来るなよ・・・
この年はフェラーリで、マンセルとチームメイト。
ドライバーズミーティング時、足を怪我してるマンセルの、怪我した方の足を蹴ってからかう。
するとマンセル本気で激怒(マンセルにはジョークは通じない、が通説だとか)。
罪深い度:☆☆☆☆
怪我してる足を蹴っちゃダメでしょ。レースに出られなくなっちゃうよ。
このあたりにて、ピケの顔写真にらくがおする事件発生。
ピケ、なんかもうとんでもない間抜け面にされちゃったw
(ロータス時代だから、中嶋も同じ目に遭っていたかもしれない・・・)
罪深い度:☆
面白いからまっいいかw ピケ、あんまり周りのこと気にしなさそうだし。
1990年第3戦サンマリノGPにて首位を走行中、
ヴィルヌーヴ手前でフェラーリのナイジェル・マンセルに抜かれそうになったとき、
突然幅寄せをしてマンセルをコースから追い出す。
マンセルはとっさに360度スピンを成功させレースを再開、ベルガーを猛追するが
3周後にエンジントラブルでリタイア。この一件でマンセルは
「これほど頭にきたことは一生の中で一度だってない」と激怒した。
マンセルの高度な操縦技術により大事には至らなかったものの、
ベルガーの行為は相当に危険であった。
危険度:☆☆☆☆☆
マンちゃん伝説の一つとして愉快に語り継がれているけど、よく考えてみるとかなりヤバい。
<Wikiでもフィーチャー!セナ、マクラーレン関連>
1990年マクラーレンに移籍した際、ベルガーの悪戯好きを知るスタッフが
「セナは神経質で気難しいから、あいつにだけは悪戯はするな」と釘を刺した。
にも関わらずメキシコGP開催中、ホテルのセナの部屋の各所に腐った魚とチーズを隠しておいた。
罪深い度:☆☆☆
腐った魚とチーズだらけの部屋・・・セナ、心中お察しします。
腐った魚とチーズを集めて、あちこちにこっそり隠すのはなかなかの手間。
ベルガーの神業度☆☆☆☆。がんばりすぎw
モンツァ上空をセナとヘリで移動中、
セナが自慢する買ったばかりのアタッシュケースを突如空から投げ捨て、唖然とするセナに
「そんなもの持っていても盗まれるだけだよ」と言い放つ。
このケースは結局見つからなかったが、
地上の誰かに直撃する危険性を考えれば極めて悪質な悪戯といえた。
危険度:☆☆☆☆☆
一歩間違えれば殺人事件ですよ。
貴重品を投げ捨てたという点で、罪深い度も☆☆☆☆
(中身に財布等が入ってたら更に☆一つ追加)。
90年鈴鹿での、セナ因縁のドライバーズミーティングにて、
部屋に入るなりピリピリしているセナを横目に、ベルガーはいつもの調子。
書類を丸めて周りの参加者にブンブン、ポカポカといたずら。
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罪深い度:☆
険悪な空気を和ませようと、ベルガーなりに気を遣ったのかもしれない。
1991年にロン・デニスとその夫人、セナとワニ園を見学中、
ワニが見える橋の上からロンを沼に突き落とし、
「助けてくれ」と叫びながらはいあがろうとするロンをセナと共謀して足蹴にしつつ、
助けることと引き換えに翌年の年俸アップを要求した
(実際には落とした場所はワニがいないはずの場所だと二人は知っていた)。
罪深い度:☆☆☆
このあたりからセナがベルガーに影響されておちゃめになってきた!まさかの共謀!
ワニがいない「はず」なのを考えると、危険度は☆☆☆☆くらいか。 デニスかわいそうw
同年の鈴鹿GPで、ベルガー優勝、セナ2位で3度目のワールドチャンピオン獲得と、
表彰台はマクラーレン祭り。
大盛り上がりのシャンパンファイトが終わったと思ったら、
デニス、でっかいポリバケツを持って登場!
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2人に大量の水をぶちまけるつもりが、逆にセナにはシャンパン漬け、そしてベルガーには
ズボンの間からミネラルウォーターをズブズブ突っ込まれる始末w
仕方ないから、ポリバケツの水は観客にかけましたとさ。
でも、この優勝はセナに露骨に譲られた勝利。ベルガーのプライドズタズタで、3人は
朝まで生テレビ状態で、討論したそうな。なんという役者揃い・・・
罪深い度:☆ ざまあ度はデニスが失敗したからゼロw
むしろ、デニスが気を遣ってやってくれたパフォーマンスだったのかも。
1992年南アフリカGP後、セナのパスポートの顔写真の部分を
こっそり女性のヌード写真にすり替えておいた。
セナは空港でチェックされるまで気付かず、空港で数時間立ち往生する羽目になった。
罪深い度:☆☆☆☆☆
セナマジでかわいそうだwこういうことで立ち往生するセナwww
そして、この手の「こっそり仕掛け」っていつの間にやっているんだろう?
ヌード写真をわざわざ雑誌から切り抜いたり、芸が細かい。
ベルガーの神業度☆☆☆☆。
その報復として、セナ(とロン・デニスの共謀)によって財布に穴を開けられ、
ボルト締めされた状態でホテルのフロントに「お届け物」として放置される。
この財布、紙幣やクレジットカードが入ったままドリルでど真ん中を開けられ、
デニスのサインがしてあった。
ざまあ度:☆☆☆☆☆ これぞざまあwww
ボルトはマクラーレンのメカニック達が普段使う物だったらしく、
チーム全体での共謀説も出てきたぞw
1992年頃にはホテルのセナが泊まっている部屋を
鍵穴を使って消火器で泡だらけにしたこともある。
罪深い度:☆☆☆
この辺になると、セナももう慣れっこになってそうだなw
消火器の泡って、鍵穴みたいな狭い所にそんなにうまく入るものなの?
ドアの外に溢れちゃいそう。
むしろベルガーの神業度が☆☆☆☆☆。
1992年、鈴鹿でロードカーマクラーレンF1 GTRの発表会が行われた際、
ロン・デニスが運転する同車に同乗。
ところが車は1周目の1コーナーで飛び出し、サンドトラップで止まってしまう。
うなだれるロンを、自分がリタイアした時にいつも言われる言葉、
「次があるじゃないか」と言って皮肉る(一説では、マシンが止まった原因は
ベルガーがパーキングブレーキを引く悪戯をしたためとも言われている)。
その後ジャーナリスト達がこの件のコメントを取りに来たところ、
「ロンのアクセルワークには驚いたよ。ゾウが踏んでるのかと思ったね」とコメント。
罪深い度:☆(マシンが止まった原因がベルガーのいたずらなら☆☆☆w)
「次があるじゃないか」と言われ続けた日々、悔しかったんだろうなあ。根に持ってた?
1993年オーストラリアGP、前戦日本GPで起きたエディ・アーバインとの事件をネタに
セナの車の上にボクシングのグローブを置いてからかう。
危険度:☆☆
セナよくキレなかったな・・・ネタとしてはなかなかおもしろいw
さて、再び時系列に戻って。
1992年のポルトガルGPで、最終コーナーの立ち上がりで
リカルド・パトレーゼが直後を走行していたのにもかかわらず、
ピットインのため合図も無くスローダウンする。
パトレーゼの車はベルガーのリアタイヤに接触し空を舞うが、間一髪無傷ですんだ。
怒ったパトレーゼにベルガーは「今度ピットに入るときは君の家に電話をするよ」と言った。
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危険度:∞
パトレーゼが死んだり大怪我したりしてたら、裁判にかけられそうなレベル。
一般的な見解は「パトさん、この辺ピットレーンだよね、もうちょい注意してれば良かったね」だけど
川井ちゃんいわく、ベルガー相当反省してたって・・・そしたら、やっぱりやらかしなのかな・・・
91年~93年あたりの出来事。F1ドライバーのスキー大会があり、パトレーゼ優勝、ベルガー2位。
負けて悔しいベルガー、パトレーゼを表彰台から突き落とす。
危険度:☆☆☆
スキー靴を履いたまま表彰台から落ちたら怪我もの。
パトレーゼもベルガーもスキーはプロ級、更に名セカンドドライバーで、何かとキャラかぶり。
パトレーゼ関連は危険度が高いものばかり・・・もしかして、微妙にやっかんでた??
1995年、フェラーリのニューマシン、412T2発表会場(屋外)の傍で
アレジと乗用車でスラローム走行を楽しんでいたが、
アレジが運転中突如パーキングブレーキを引いたため車が横転。
屋根を下にして滑走し、あわやニューマシンにぶつかる寸前で停まった。
ちなみに乗っていたのはジャン・トッドの車であった。
危険度:☆☆☆☆(ニューマシンの危険度は☆☆☆☆☆)
他人(しかもチーム監督!)の車でいたずらしちゃらめえええ!罪深い度も☆☆☆☆。
というか、チーム監督の車でいたずらした時点で、
ベルガー自身の危険度が☆☆☆☆☆な気がするんですが。
この頃、クミコと恋に落ちたアレジ。一刻でも早く日本に行ってクミコに会いたい♪
悪いベルガーは、よりによってそんなタイミングで、アレジのパスポートをおじゃんに!
キレすぎて理性を失ったアレジ、自分の車でwベルガーの車にぶつけまくって怒る。
罪深い度:☆☆☆☆
女好きなんだから気持ちわかるでしょw
ベルガーのだけでなく自分の車までダメージ与えちゃうあたり、アレジ天然度☆☆☆☆☆!
1996年、予選の結果が悪かったところに、
「この後どうされるつもりですか?」とテレビ局からインタビューを受けて、
「ホテルに帰ってオナニーかセックスして寝るだけだよ!」と答えてそのVTRを放送不能にした。
罪深い度:☆ バカ度:☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
バーーーーーカwwwww こんなんだからパドックの女性スタッフに嫌われるのw
1997年鈴鹿、自らの引退会見の数日前、ベルガーの来季の去就を巡って
パドックではさまざまな憶測が乱れ飛んでいた。
フェラーリのエディ・アーバインはジャン・アレジに呼び止められ、
「エディ、大変だ。すぐにピットへ帰れ」と言われ、急いで自分のピットへ帰った。
すると、そこにはフェラーリのレーシング・スーツを着て報道陣に囲まれ、
シューマッハーと談笑しているベルガーの姿があった。
これはもちろんベルガーの発案によるジョークであった。
アーバインどっきり度:☆☆ 危険度や罪深い度はあんまりなかったので。
アレジ、シューマッハ、フェラーリのスタッフなどを巻き込んでのいたずら。
これはベルガー人柄度に☆☆☆☆☆をつけたい。
実は、フェラーリドライバーでないドライバーがフェラーリのスーツを着てるのは、
結構大変な事らしいです。
そこを考えるとベルガー神業度も☆☆☆☆☆を。
1997年最終戦で引退レースであるヨーロッパGP、
最後だから、と決勝日のドライバーズパレードのトラックの運転手を引き受け、
荷台の上のドライバーたちが笑顔で愛嬌を振りまいているところ、突然急ブレーキをかける。
現役時代最後のいたずら。
危険度:☆☆
ドライバーほぼ全員よろめいた。でもみんなこうなるのわかってたよねw
ベルガーの家業は運送屋、トラックの運転は朝飯前、といういわくつき。
最後の最後もやっぱりいたずらで締めくくり、みんなを巻き込む。
ベルガー人柄度☆☆☆☆☆ですな。
振り返ってみると、ベルガーのいたずらが量・質ともに充実(笑)していたのは
やはりマクラーレンにいた頃ですね。
ベルガーが一番ベルガーらしくいられたチームだったのではないでしょうか。
堅物なロン・デニス、神経質なセナと、
ベルガーのようなムードメーカーを必要としていた面子が揃っていたし、
当時のチームの状況もまた、そうした要素を必要としていたのだから。
ベルガーが来るまで、チームはセナプロのゴタゴタで、正に泥沼でした。
90年は、まだセナプロの余韻が残り、鈴鹿の事件まで至ってしまうし、
91年92年は、ウィリアムズの脅威に常にさらされ、ホンダも撤退が決まり
ピリピリ、げんなり、といったムードにあったことは想像に難くない。
払った代償はなかなかに大きかったと思うんですが(よく耐えたよ・・・)
ベルガーのおかげで、セナもデニスも、逆境の中にあっても、心にゆとりを持てたはず。
ベルガー自身「僕はアイルトンに笑うことを教えた」と述懐しているし。
一方、フェラーリ~ベネトンで長いことチームメイトだったアレジとは
いいような悪いような。セナほどは上手くいってなかったようです。
歴代チームメイトでは、2番目くらいにランクインしそうですが、
案外、不仲な時期があったんだとか。
元々2人とも「自分がNo.1だ!」という自負、意地があって
セナとは違い、アレジは経験値も実績もベルガーより格下。
だけどアレジには「もしウィリアムズに行ってれば」という「たられば」があるように
期待され続けてきたし、ティフォシからの人気も高かった。
むしろ、「そんな2人がよく仲良くできたな」と言った方がいいかも。
ベネトンにいた2年間は、いたずらもちょっと精彩を欠いていますね。
冷遇もあるだろうし、いたずらがあまり歓迎されないチームだったのかも。
予選後の下ネタはいたずらというより、八つ当たりみたいなものですしね。
晩年に関しては、ベルガーがやっと大人になったのか・・・(笑)
いたずらでも「ぎゃはは」でなく「人望厚いんだなあ」という印象だったりして。
そして「誰とでもきっとうまくやっていける」とよく言われるベルガーですが
意外にも、そんなにうまくいってない相手のほうが多いような。
例えばフェラーリで、それまでNo.1だったアルボレートを凌駕しだしてからは
仲がかなり険悪になったというし(いたずらエピソードもない)、
アルボレートが去り、マンセルが来ると、チームはマンセル寄りになり
険悪とは言わないまでも、あんまりしっくりとはハマってなかったみたい。
ウィリアムズ黄金時代を築いたマンセル&パトレーゼ双方と相性が悪いあたり
ベルガーはウィリアムズに来ちゃダメでしょう(苦笑)。
96年頃に、ウィリアムズ行きの話があったらしいですがね。
フランク達首脳陣はともかく、ヒルやジャック、クルサードなら
ジョークやいたずらに結構乗ってくれそうな気がしますが・・・
クルサードだったら、女遊びも一緒にたっぷりできそうだしwwwww
「BIG4」のうち、セナ、マンセルとチームメイトになったベルガー。
ピケやプロストと組んだら、どうなっていたんでしょうね。
教授はベルガーのいたずらを許せるタイプなのか??ちょっと読めません。
そしてピケと組んだら、これはもう世紀のたらしコンビ!!!
レースそっちのけで、女関係で仲良くなったり競ったり、しそうですねw
激しく見てみたい!
セナとベルガー(とデニス)は、なかなか奇跡的な組み合わせだったんでしょうね。
92年でベルガーがマクラーレンを去る時、セナ達と談笑した夢
「いつかフェラーリでまた一緒にやろう」が、実現していたら良かったのにね。
セナは、キャリアの晩年にはフェラーリをドライブしたいと考えていたそうですから。
<いたずらではないけど、個人的な交友を持つ川井ちゃんとのエピソード>
フジテレビの中継で担当となった有賀さつきを川井一仁に紹介された。
すると「でかした、カズ」と言って口説いた。
たらし度:∞
ゲルハルトもカズも、たらし仲間ですからwww
川井ちゃんグッジョブ度も☆☆☆☆☆にしとこうか。
保奈美さんと離婚して現在独身貴族な川井ちゃんに、ベルガー、今こそ誰か紹介してあげて!
深夜、フジテレビの中継スタッフが打ち合わせがてらの飲み会をしているホテルの部屋に
突如ベランダ伝いに侵入してきたベルガーは、
「リサ(当時 F1番組のアシスタントをしていた平子理沙)の部屋はどこ?」と尋ね、
スタッフが部屋番号を教えると、またベランダ伝いにその方向に消えていった。
たらし度:∞ 不審度:☆☆☆☆☆
何してんだよwどうしてベランダ伝いwww
それにしても、当時のリサと現在のリサ様、全然容姿が似ても似つかないんですが・・・
まさか大幅なせいけ(ry
仲良しな縁もあって、プロ野球ニュースにてこんな出演もありました。
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川井ちゃんすごい得意げになりきりwなぜ腕相撲www
TVに出慣れてない感じですね。カズがいても、異国の放送じゃやっぱ緊張するよね。
いたずらややらかしが好きなドライバーは他にもきっとたくさんいるでしょうが、
川井ちゃんのおかげで、ここまで多くのベルガーのいたずらが
世に広まったのではないでしょうか(少なくとも日本では)。
川井ちゃんありがとう!!!
ベルガーの他には、ジョニー・ハーバート等とも仲良しだったんだそうです。
さて、さんざんネタ扱いでこき下ろしてまいりましたが、
最後はちゃんと、かっこいいベルガーを観て
幕を閉じましょう!
91年鈴鹿、予選で不世出のコースレコードをたたき出す。
10年後にシューマッハがこれを破った、といわれているけど
この頃には、コースが改修されているんですよね。
だから、「このコース」でのベルガーの記録は、永遠ものというわけ。
94年のイモラで、後輩と親友を一度に亡くしたり
97年引退の年、体を悪くしたりレース前に父親を亡くしたりといった
地獄から、何度も這い上がってきた逆境強さや、
ベルガーの生涯勝利10勝が、全て「記憶に残る勝利」であるなど
「やる時は絶対にやる」ところが、なんだかんだで
ネタで終わらず、「好かれる」要因なんだと思います。
もちろん人柄もね。
笑うことって、人間が生き抜くうえで本当にかけがえのない武器で、財産ですからね。
他人を笑わせようとする人は、それをよく理解してる、強くて優しい人だと思います。
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あなたも採点してみませんか、このいたずらリストを?
異論は大いに認めます!
※追記:本記事を読んでくださっている方が沢山居るようで、バカ冥利に尽きます。
しかしながら、重大な見落としがあることに気づきました。私としたことが!
川井ちゃん、若い女の子と再婚してたらしいですよ!
ベルガーのおかげか?関係ないのか?
パトレーゼだって若い奥さんと再婚して、例のドライヴ動画で一躍サドレーゼになったんだから
ベルガー!ここでまたいっちょかませ!悪質ないたずらや、女遊びを・・・
え?今でも変わらずしてるって?
(2012/2/20)
F1:その2 ナイジェル・マンセル「かっこよくておもしろい!世界最速のマリオ、我が家をF1ライフに招待する」
我が家のF1ライフは、最後を録り損なった90年日本GPで幕を開け、
本格的なスタートは91年開幕戦からでした。
車という車は何でも好きな弟の為に、父が録画してくれたのです。
小さな車オタク坊やが夢中になったのは、セナでも中嶋や亜久里でもなく
ナイジェル・マンセル、通称マンちゃんでした!
それからというもの、毎戦欠かさず録画、総集編も忘れずに。
弟を中心に、我が家の「F1のある生活」がスタートしました。
写真もいっぱい載った、豪華なマンセル自伝が家にありましたっけ。
しかも、父の知人にマンセルファンの方がいて、弟のために
額縁に入った、マンセルの大きな写真を譲っていただいたことも!
ちなみにマンセルINDY転向後は、ヒルを応援していたようです。
普通はプロストに行きそうな所ですが、弟は英国紳士が好きみたい。
チャップリンとか、Mr.ビーンとか、今でもよく観てますからね。
このような熱狂的マンセルファンの弟に、これから書くような
お笑い要員扱いを私がしていると知られたら、一体何されるか…
でも、やる!だって面白いんだもん!!!
とりあえずまずは、普通にかっこいいマンちゃんを観てみましょう。
伝説になった92年モナコGP。
「ここはモナコモンテカルロ、絶対に抜けない!」
という、三宅アナの神実況が生まれた闘いでもあります。
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この年のウィリアムズはFW14Bという怪物マシンを投入、無双状態。
マシンの性能は圧倒的に不利なマクラーレンホンダですが、
セナのモナコマイスターぶりと、マンセルのモナコ苦手ジンクスは
マシン差をもってしても返上できない。(鈴鹿にもこれがあてはまる)
どっからでも抜きにかかるマンセルを、セナが絶対に抜かせない!
普通なら接触かスピンでもしそうな激しすぎるバトルが、最後まで
続いちゃう時点で、もう2人とも神の領域ですね。
激しすぎる残り8周に魂を全て注いでしまったマンちゃん、疲労困憊で
コクピットから出られず、セナとパトレーゼでそれぞれ片手を持って
2人がかりで引っ張り出されている画像をどこかで見ました(笑)
そこのシーンの動画を探しているんですが、見つからない。
在りかを知ってるあなた、今すぐ教えてください、お願いします!
さーて、いよいよ本題?の、マンちゃん伝説だーい!
ウィキペディアのおふざけ版「アンサイクロペディア」にて
マンちゃんは「髭ダルマ」として紹介されています。
何だか漱石の「坊っちゃん」の登場人物に出てきそうで
文化的な響きさえ感じます。
書かれてること結構ひどいけどwダルマ型のミサイルwww
ちなみにセナは「セナ教の預言者」なんだそうですw
トリビュート動画でさえ、ほとんど珍プレー集とか!
でも、こんな愛され方こそ、マンちゃん。
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本家(笑)ウィキペディアに数々のマンちゃん伝説は十分載っていますが
ここで出てきたものの内訳。
・キルスイッチ(1位走行中の最終ラップ、観客に手を振っていたら
うっかり緊急時のエンジン停止スイッチ押しちゃった、本人は認めてない)
・タイヤポロリ(これはマンちゃんのせいではなくピットクルーのミス)
・360°ターン(ベルガーと接触して一回転、しかし何事もなかったかのように
コースに舞い戻るという、ネタだけど実は神業でもある)
・スタート失敗で2回も黒旗出しといて自分はちゃっかり優勝してしまう、
そしたら天罰が頭にズガーン、表彰台でもかなり痛がってるw
・セナ撃墜後、逃亡(なぜに柵をよじ登る?→「逃亡」になったらしい)
・タイヤ交換しようとピットインしたらクルーを追い越しちゃった
・ピットアウトしたらマシンがスローダウンして出られないよ!
怒って、ボカッ!ボカッ!ボカッ!しかも一定のリズムw
最後がワールドチャンピオン獲得レース、涙の表彰台だったのが
せめてもの救い。
そして、ここに入ってない伝説がある!
「マンセルにシケインはない」だ!
残念だったから、自分で編集してうpした!
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実はこのドイツGP、同年モナコと同じくらい充実したレースとの評も。
ここはドイツホッケンハイムなんだけど、なぜだかセナを抜けない。
で、「何とかして」とりあえず抜いたけど、
マンちゃん伝説に新たな1ページが加わった瞬間でもあり・・・
その後、僚友パトレーゼがセナと2位争いで「どんなにしても抜けない、
絶対に抜けないドイツホッケンハイム」を繰り広げるのですが。
後は「引退すると言った時は絶対引退しない、
本当に引退する時はなぜか引退を表明しない」といったものが
ありますね。フェラーリ、ウィリアムズ、2回も引退会見しといて
結局戻ってきてるw辞める辞める詐欺www
で、マクラーレンにちょこっと乗った後はもうF1をドライブしない、と。
マンちゃんは不思議なことばっかりだw
そして、大ざっぱな部分とナーバスな部分があったり(ベルガー談)
皆の注目が自分に向いていないと気が済まなかったり(パトレーゼ談)
ちょっと気難しい性格でもあるようで、
チームメイトと険悪になってしまうことも多くありました。
90年フェラーリ時代、プロストとは元々ゴルフ友達だったのに、
チームがプロスト中心に回っていることが不満で引退宣言しちゃったりと。
その一方、一度よくしてくれた相手には感謝を惜しまない人でもあり、
92年のチャンプ獲得に大きく貢献したパトレーゼは、マンセル自伝にて
1ページ使って、大きな写真つきで誇らしげに紹介されていたりします。
この頃のウィリアムズは「チームプレイ」感があって、そこが好きでした。
「俺たちふたりで」「みんなで」勝った、っていう雰囲気が。
コンストラクターズチャンピオンも獲った92年、
ふたり笑顔で仲良く並んだマンセルとパトレーゼの、セピア色の写真。
そして近年、また一緒に大笑いしたり、同じ景色を見たりしている
ほほえましい画像が、前回うpした「ビフォーアフター」で観られます。
この2人のくだり(+プロスト)で、私はいつも泣きそうになってしまう。
胸がすくような豪快なドライブ、だけど肝心な所でいつも勝てない、
苦労人で家族想いな、イギリスのワーキング・クラス・ヒーロー。
極太の髭と眉毛がトレードマークの、マリオによく似たおっちゃん。
ちょっぴり気難しいけど、本当は素直で単純でやさしいやつ。
時に笑いのめしながら、単純に感動したり、敬愛したり、
懐かしがったりできる、かっこよくておもしろいヒーロー。
なかなかいないんじゃないか、こんなドライバー、こんなチャンピオン。
おまけ。マンセルの気持ちがよくわかるってもんです。
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さぁて、次は誰を書こうかな?
少しずつ動画を探したり、ダウンロードしたり、編集したり、
ここにうpするためにFC2動画へうpしたり、している最中です。
マンセルで始まったなら、次はパトレーゼといきたい所ですが
思い入れが深すぎて、動画やエピソードの整理がなかなか進まない。
セナプロの方が素材がまとまってきたので、先にあげられるかも?
ここは楽しくしてくれた人やものを紹介するblogなので、作る側も
楽しく気張らずに、気ままにやっていくことにしましょう。
F1:その1「スポーツ観戦にほぼ全く興味が沸かない私が、あの頃のF1関連には朝まで夢中になる理由」
「あの頃のF1」シリーズがやってまいりました!
セナ、プロスト、マンセル、ピケのいわゆる「BIG4」の時代、
80年代後半から90年代前半あたりをメインに取り上げます。
昔は部活でソフトテニスをやっていて(ドヘタクソ)
ダルビッシュの完封を真後ろで観戦した時は野球にハマるかとも思ったし
なでしこ優勝のニュースをTVで観た時はいつも半泣きになっていた。
フィギュアもある、サッカーもある、他にもいろいろある。
なのに私はどうしてF1、しかも「あの頃のF1」じゃなきゃダメなんだろう?
本企画は、動画をblogへうpする練習にもなっていくはず・・・
fc2ブログでの画像のうpは「ジョン・フルシアンテ」の後編で出来たんですが
動画のうpは何か緊張する~!結構手間がかかりますね。
わざわざRealPlayerまでダウンロードして、試行錯誤しています。
でも動画で観てほしい、伝えたいものが沢山あるんです!
エピソードの羅列では足りない、静止画では伝えきれない
驚きや興奮や感動を!
まずはYoutubeから転載した、95年のF1中継番組のオープニング
「F1グランプリ 95年オープニング」。
往年のチャンピオン達のマシンをCGで再現。
マシンにはドライバーも乗っていて、マシンの挙動も
メットの中からのぞくお顔も、ちょっとした仕草も、ご本人らしくて
興奮します!
「あれ?マンセルはウィリアムズでチャンピオンじゃ?」と思ったら
そうか、最後は・・・
OP映像いろいろありましたが、私はこれが一番好きかも!
だいたい2分足らず。
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次はnicozonにあるとっても素敵な動画を紹介。元はYoutubeにかつてあったものとか。
fc2動画に自分であげたんですが、ニコニコのメリットである
投稿者コメントが観られないよう!勿体ない!
コメントにかなり「この人は今何してる」って書いてあるので。。
「普通にニコ動しろ」って感じですが、めんどくさいんだもん・・・
でも、やたら「ハゲ」「ハゲ」書かれてる人もちらほらいたので、これで
ある意味いいのかな・・・w ドライバー達の姿を、じっくり堪能できますしね。
「F1ドライバー ビフォーアフター」。
人の数だけ歴史があるのがよくわかって奥深い。
悠々自適あり、華麗なる転身あり、業界の常連あり、天に召された人あり・・・
F1の、こんな人間臭さ、個性たっぷりのドライバー達が好きでした。
15分程度とちょっと長いですが、観ていただけると嬉しいです。
往年のチャンピオンから、優勝はできなかったけど記憶に残る人まで。
特に、中盤のパトレーゼ~マンセル、最後のプロスト~・・・は涙もの。
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ここで、nicozonにあったコメントを補足すると、
・ブランドルやカペリはF1解説者として今も活躍中
・三度のワールドチャンピオン、自動車免許講習を受けるの図(ピケw)
・ベルガーはどんどんロンデニスに似ていく、アレジはサルコジやマフィア、
HHFは内藤大介、カペリは阿部寛w
そしてヒルは言うまでもなくジョージ・ハリスンで、そのコメが多すぎて
nicozonでは、関連商品でジョージのライヴDVDが出てたw
・www.boutsen.com(ブーツェンが社長をしてる航空会社のHPアドレスw)
・ブランドルやワーウィック「納豆」「納豆」、わかるけどかわいそうw
・ハーバートには「ジョニー・B・グッド!」「HEY!ジョニー!」だのと
みんなハイテンションwしかも、最後なぜかバンドやってるぽい様子w
・パトレーゼの鉄道模型コレクション「世界最速のテッチャン」www
・マンセルはマリオ、ベルガーは女好き、アレジはクミコ、
この辺は鉄板だから仕方ない。けど連発されすぎだw
・プロスト「鼻が曲がってなかったらイケメン」「アレジに給料払え」w
・締めくくりは「セナが生きていたら、どんな姿になっていただろうか・・・」
「泣ける」「泣いた」のコメ多数でした。
最後はこの渋い名ナレーションで締めましょうか。
毎年、年末には「F1総集編」というまとめスペシャルをやっていて
動画サイトにあがってるレースシーンもここからの転載が多い。
そんな総集編の最後を飾る、今は亡き城達也さんの
渋く、深い、「F1とはなにか」。
プロストがチャンプを獲って引退し、セナと邂逅した年の、
「F1 93年総集編エンディング」
2分程度。
Youtubeにあがっていた映像から、このナレーションを中心に
ドラマティックなテーマソングも最後まで入るよう編集。
プロストがウィリアムズに乗ってパリを凱旋するシーンに
ナレーション「夢は現実」が重なるところで胸が熱くなります。
セナプロの邂逅もありますよ。
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うーん、やはり、言いたいことは殆ど動画に言われてしまいました。
流石に城達也さんのナレーションほど深く捉えてはないですが・・・
「F1はマシンがかっこいい!ドライバーのテクニックにワクワク!」
「F1ドライバーはキャラが濃い!人生物語を含めて観ると尚面白い」
「F1はサーカスかつ社会の縮図。夢とリアルの絶妙な配分がしみる」
今回紹介した動画と同期させながら、頑張って言葉に変換してみるなら
こんな具合でしょう。
今はYoutubeやnicozonから雄弁な動画をピックアップしたり
動画をダウンロードしてきてせこせこトリミングしてみたり
誰をどういう順でもってきてどういう話にしようかと考えていて
楽しいやら、疲れるやら(笑)
現時点ではセナ、プロスト、マンセル、パトレーゼ、ベルガー
あたりを予定しています。
思い入れが深い題材だけに、熟考型の投稿になりそうですが
いいもの、面白いものを目指してじっくり作っていきます。
※追記:うpした動画の2つめと3つめ、一度fc2動画へ
あげた後でサムネイルを修正したんですが
反映されないよ~!どうして~?!
ちゃんと修正した動画は、fc2動画にございます。
よろしければそちらもぜひ!