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サガンという生き方「ハイリスク・ハイリターンな破滅型人生・・・生きたいように生きるということ」
いやーもう、バテにバテて、腰痛まで出てきて、ここしばらく酷いことに・・・・・・
前から溜めていたネタが、ねかせすぎて1ヶ月近くになって、ヤキモキしてきたので
ひさかたぶりに感想~レビューを書くことにします。
しかも、とても久しぶりに、題材は本です。
ある日のこと。レンタルショップをうろうろしていた時、古本コーナーにさしかかり、
そこで磁石のように、私はこの本に惹きつけられて、一瞬の迷いもなくレジに運びました。
本が安価だったからというのもありますが、買い物をするのにここまで迷わないのは
私にしてはあまりに稀なこと。運命を感じずにはいられませんでした。
そして家に帰って読みはじめ・・・1日で、あっという間に読破してしまいました。
文庫本で、伝記物で、文章も平易、文字もそんなに小さく込み入ったものでもないので
読みやすいというのもありましたが、何よりも内容に圧倒的に引き込まれたのです。
![]() | サガンという生き方 (新人物文庫) (2012/09/07) 山口 路子 商品詳細を見る |
カヴァーが細かいラメ風にキラキラしていてイカしてます。
カヴァーや本文の、フォントやデザインなど、やや女性向けなのかな?と感じるふしも
ありましたが、内容が面白いので男性でも十二分楽しめるのではないかと思います。
以下、サボりすぎてて勘とか鈍ってますが、読んで感じたことを徒然と綴ります。
・筆者のサガンへの、海より深い熱狂的な愛情
この本を記したのは山口路子さんという作家で、本書と同じシリーズで
「ココ・シャネルという生き方」という本も書いている。
サガンは本当に沢山の人から愛を受けたが、山口さんのサガンへの愛情も凄い。
なぜ、サガンを読んだあとは、抱擁されたような気分になるのだろう。
このなんともいえない心地よさ、あたたかさはいったい何だろう。
サガンを読み始めた二十五年前からずっと、思っていた。
「依頼を受けたのでとりあえず」「興味本位で」では出てこない、熱い思い入れ。私はサガンが好きだ。
彼女のまなざしが、そして彼女の言葉がとても好きだ。
近年、サガンの映画が公開されたが、それを観た時、映画の内容それ自体よりも
「サガンが好きなので、もう、それだけで胸がいっぱいなのです」と涙が止まらなく
なってしまったほど。
でも、深く愛しているからといって、甘やかしたり過剰な擁護をしたりはしない。
彼女の美しい面も醜い面も対等に見つめて、描き、その奥の本質、「孤独」と「知性」に
粛々と踏み込む。サガン自身が遺した名言や名文をたっぷりと盛り込みながら。
サガンはいわゆる破滅型の作家で、早熟な天才である一方、どうしようもないくらいに
ワイルドに生きて、後半生では崩壊していったが、不思議と周りには人が絶えなかった。
必ずいつも誰かが、諦めずに彼女のことを愛して、忍耐強く見守り、手助けしていた。
山口さんのサガンに対する態度は、正に生前サガンの周りにいた、彼女を愛した友人達の
態度そのものなのだろう。
・堅実に生きるか?破滅を受け入れてでも、奔放に生きるか?
本書を読むと何度も「どんなふうに生きるの?」「なぜ生きるの?」と問われているように
感じる。あまりにも極端な、サガンの刹那主義的な生き方、やがて来る経済と心身の崩壊。
貯蓄なんてしない。大事故に遭っても車で猛スピードを出すのを止められない。
ギャンブルに明け暮れる。二度の結婚と離婚と一人息子、数え切れない程のLove Affair。
浴びるほど酒を呑み、精神を病み、モルヒネやコカインなどの薬物に依存してゆく。
30代で皺だらけ、50代で骨粗鬆症になり、60代になると殆ど歩行がままならなくなる。
サガンの奔放でスタイリッシュなライフスタイルは、当時の若者達のアイコンとなったが、
次第にツケがまわってきて、最後には見る影もないほどの惨状になってしまう。
デビュー作「悲しみよ こんにちは」で一世を風靡したのは僅か18歳のこと、
そして満身創痍になって、失うものはもう何もない状態で、69歳でこの世を去った。
倹約して、恋は確実なのをひとつまみ、お酒は控えめに、ギャンブルや猛スピードなんて
もってのほか、健康的に朝起きて夜眠って一日三食食事を摂って・・・といった、
模範的といわれるようなライフスタイルとは真逆。細く長く生きるのが一番なんて言語道断。
本を読んでいるとその人生はスキャンダラスでスリリングで哀愁たっぷりなのだが、
周囲の人間はどんな思いをしたのか?とりわけ、心身のバランスを崩した後半生には?
多くの人間に甘え、頼り、振り回し、我が儘を言い、同じ過ちを何度も繰り返して・・・。
「真面目に暮らしているのに何の報いもない」と感じている私は、随所で怒りを覚えた。
サガンの姉も言う「一生子どものままだったのね」。両親に甘やかされて育った末娘に
一抹の嫉妬心を隠せない「上の子」の気持ち、私は恐らくこの立場でサガンを見ている。
でも、サガンは愛された。お金を持っている(た)だけではない、自分に率直だったから。
自分の感性や、冷静な観察眼を通して確信した、自分の生き方を貫き通したから。
我が儘と呼ばれてもいい。破滅してもいい。自分に嘘をつくぐらいなら。
「ほしいものはほしい」、躊躇わずに言葉や態度に出すのは案外難しいもの。
デビュー前のサガンは作品に自信のないまま「悲しみよ こんにちは」を出版社に送った。
その頃の彼女はとても謙虚な少女だった。奔放で熱狂的な読書家なのは変わらないが。
もし、「悲しみよ~」が大ブレイクではなく、小ヒット程度で、地味にコツコツと歩んでいく
作家人生だったなら、彼女は謙虚なままだったのだろうか?と想像したりした。
でも、サガンはきっと、どんな境遇でも小説は書き続けただろうけれど、堅実で地味な
生き方はやはりしていないのだろうなと、想像は結局元のところに戻ってきてしまう。
裕福な家庭で甘やかされて育って、社会に出て他人に使われることも経験せず、
18歳の若さで世界的な名声と莫大な印税を手にし、時代のアイコンとなる。
平凡な人間では発狂してしまいそうな、あるいはかなり早くに堕落し、
小説家人生を駄目にしてしまいそうな、サガンの前半生。
型破りな価値観の持ち主である彼女だからこそ、最後まで生き抜けたのだろう。
いや、彼女だって随分、ボロボロになったけれども。
・サガンの破天荒な一生を貫いた信条「文学」
同性とも異性とも浮き名を流し、夜から朝までカジノでギャンブルに明け暮れても、
経済難で住み処を失い、骨粗鬆症等の病気で自由に出歩けなくなってしまっても、
親や友達や元旦那といった、大切な人達を一度に失って、壊れそうになっても、
どんなときでもサガンは小説や戯曲を書いた。
10代の頃、ランボーやプルースト、サルトル等の洗礼を受けて、文学を発見し、
文学に一生涯を捧げると決意したサガン。
波瀾万丈の生涯を送ったが、そのなかで書くことを途絶えさせることは極力せず、
コンスタントに作品を発表し続けた。
いつからかサガンは、書かないと生きていけなくなっていた。書くことこそが、彼女が
生きている証になっていた。
書くこととは生きること。だからサガンを愛した人間達は、彼女が書くため=生きるために
どうしても必要なら、違法の薬も彼女が望むままに、やむなく与えた。
薬は彼女の身体を蝕んだが、薬を飲まず何も書けないのは、死んでいるのと同じだったろう。
華麗な前半生と悲惨な後半生のギャップがあまりに強く残り「破滅的な人間」という印象が
どうしても焼き付くが、サガンの見落としてはならない一面として、本書では
「少女期から最晩年まで、徹頭徹尾、文学に殉じた一生」というのも強調されている。
この伝記が、単なるスキャンダラスな破滅劇だけに留まらない理由が、ここにある。
・サガン作品のガイドブックとしても最適
章の終わりごとに、サガンの著書がとりあげられて、読みどころが紹介される。
サガンのキャリアは長いから、「悲しみよ こんにちは」の他に何を読んだらよいか
わからないという人も多いのではないか。実際に私もそんな一人であった。
作品毎の印象的な台詞や場面が引用される。サガンの人生や当時の思想と作品とが
絶妙にリンクしていることも感じ取れて、興味の沸く時期や作品が見つかりやすいのでは。
写真も沢山入っているし、当時の風俗についても触れられていて、
まるで映画を観ているように、サガンの人生を追体験することができる。
なかなかできない、「破天荒だけど一本筋の通った生き方」。
堅実に人生を歩み、足場を固めてゆくことに、疲れたり、疑問をもったなら、
「こんな生き方もある」という具合に、手に取ってみてはいかがだろうか。
そこいらのよく出来た人生論の本より、生々しくて、心に激しく問いかける。
「あなたは、どう生きたいの?」と。
読むのは比較的易しいけれど、受け止めるのはなかなか勇気が要る一冊です。
才気に溢れ、ファッショナブルでクールな少女が、どんどん目も当てられないような
ボロボロのおばあちゃんになってしまうのはかなりの衝撃でした。
けれどそういう人生を送った人間が、足跡を遺した人間がいたという真実。
深く考えさせられ、長く余韻の残るノンフィクションです。
「私のセカンド・サガンはどれにしようかな?」まだ決めかねていますが
多分あれかあれになりそうです。ブックガイドとして、暫く側に置いておく予定。
彼女の哲学を感じ取る旅は、まだまだ始まったばかりです。
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