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GP CAR STORY Williams FW14B「あの頃のF1オタクは必読のシリーズ!伝説のクルマの悲喜こもごも、すみずみまで見逃さないで」

「92年のチャンピオンカーにしてお化けマシン、ウィリアムズFW14Bに特化した
本が出てるらしい」という情報を最近ネットで得て以来、もう、そわそわ。
どうも昨年の本らしいとも聞いたような聞かなかったような気がするのですが
どっちにせよ読んでないんだし関係ない。
買うか?!その前にまずは立ち読みして、面白かったら買おう。
そんなわけで早速近場の書店でその書籍を発見、かじりつくように読むも・・・

GP CAR STORY Williams FW14B (SAN-EI MOOK)GP CAR STORY Williams FW14B (SAN-EI MOOK)
(2013/03/07)
イデア

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「あの頃滅茶苦茶印象的だった・速かったマシン」のムックシリーズで、3冊しか出ておらず
他のラインナップはこんな感じ。

GP Car Story vol.01 マクラーレンMP4/4・ホンダ (SAN-EI MOOK)GP Car Story vol.01 マクラーレンMP4/4・ホンダ (SAN-EI MOOK)
(2012/06/07)
不明

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GP Car Story vol.02 フェラーリ641/2 (SAN-EI MOOK)GP Car Story vol.02 フェラーリ641/2 (SAN-EI MOOK)
(2012/11/07)
不明

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セナ、プロスト、マンセルと、いわゆる「BIG4」(アレ、ピケさんがおらんぞ・・・)が
揃い踏みで、特にMP4/4とFW14Bはどちらが最強マシンだったか未だにYahoo!知恵袋等で
ああだこうだ議論されているほどですよね。
MP4/4はドライバーの力に依るところが大きかったのではとか(セナプロ。贅沢過ぎ!)
FW14Bを作った頃のウィリアムズが、のちのシューマッハーのフェラーリなど、
現代に繋がる「マシン、ドライバー、エンジン・・・総合力で勝負するスタイル」のおおもとに
なっているだとか。この本にもその辺色々書いてありますから、専門的な話はここでなくて
詳しい本やサイトをあたっていただければ。

FW14Bってこんなクルマ。
FW14B-1.jpg
ゴーカイな走りと、猪突猛進タイプでちょっぴり天然?なキャラが日本でも人気だった
ナイジェル・マンセルが、腕力と知力と思い切りを発揮してチャンプまで獲ったクルマ!
FW14B-2.jpg
後に書きますが、乗りこなすのはマンセルには及ばなかったものの、のちのチャンプ・
デイモン・ヒルと共に開発に尽力した「最強のセカンドドライバー」リカルド・パトレーゼ

この本で初めて知ったのですが、FW14Bは、92年シーズンの序盤だけ暫定で登場してもらい
中盤からは新車のFW15の出番だったはずが、いざ走らせてみるとFW14Bが凄すぎると判明、
シーズン通して使い続けることになったと。数戦だけの暫定車が、天下取っちゃったわけです。
なんか映画や小説に出てくるエピソードみたいに劇的すぎるわ、よくできてるわ。
で結局FW15はその間も開発が進み、FW15Cとして満を持して93年に登場することになります。
そんでまた圧勝すると・・・
そして、このマシンは、現代のF1でも活躍しているという恐ろしき天才デザイナー・
エイドリアン・ニューウェイの作品というイメージがあったのですが、
読んでみると実はパトリック・ヘッドの功績がかなり大きいのだと。
やや保守的なヘッドが、時に過激なまで先鋭的なデザインに走るニューウェイを
うまくセーブして、例えば空力はニューウェイに任せて他の部分は・・・といった具合に
ヘッド中心にまとめあげてつくったクルマだった、というのが真相のようです。
この本を読んで一番意外だった点かも。

でも、前年のクルマでFW14Bのプロトタイプの、FW14の時点で、マシンのコンセプトは
既に完成されていて、実際に91年は大いにマクラーレンを脅かしていました。
FW14.jpg
91年シルバーストーン。ガス欠でストップしてしまったセナをタクシーしながら
ヨユーのウイニングランのマンちゃん。セナとマンセルの名場面の一つですね。
FW14-2.jpg
FW14はなぜかカラーリングが3種も変わっていたそうで、序盤の頃はこんな感じでした。
序盤は信頼性がイマイチながら、パトレーゼがブラジルで2位。セナが優勝してめちゃめちゃに
泣いていたあのレースです。

92年はウィリアムズFW14Bがあまりに強すぎて、こういう光景が日常になってしまい、
F1離れを起こしたファンもいたようで・・・
Mansell_Patrese.jpg
右側の髭のおじさんがマンセル。マリオをリアル人間化するとマンセルになるって本当?
そして、左側で喜びつつも、微妙に複雑な表情を浮かべているのがパトレーゼ。
この本における二人の描かれ方があまりによく出ている画像。

モナコでセナが勝たなかったら、表彰台では↑の光景がずーっと繰り返されるばかり
だったはず。あのレース「絶対に抜けないモナコモンテカルロ」がドラマティックなのは
そういう背景もあったのです。
モナコといえば、最後にマンセルがヘロヘロになり、立つこともままならなくなって
路上に座り込んでしまう姿もありました。
オンボードから見える挙動が驚異的にスムーズなのもあり、さぞかしスイスイとドライブ
しているものかと我々には映りますが、実はあれこそがFW14Bを乗りこなす本当の大変さが
表れた場面だと、後半のマンセルインタビューで語られています。
ハイテクマシンに見えて、実際には腕力勝負、体力勝負のマシンだったようです。
また、セナの映画で91~92年が描かれるとき、セナはドライバーでなくマシンやチームに敗れた
かのように描かれ、VSプロストほどライバル(=マンセル)との闘いが前面に出ていないと
不満を述べていたのもマンセルらしく、これは確かに「言われてみれば」と納得。


実際のシーズンでもそうでしたが、この本のなかで更に強調されて描かれているのが
マンセル>>>>>コース上の塵>>>>>>>>>>パトレーゼ
という位置づけ。本書におけるマンセルageパトレーゼsageは凄まじく、91年からF1観て
パトレーゼを応援してきた私は、本屋でマジで泣きそうになりました。やりきれなくて・・・
同じマシンに乗っているのに、ダブルスコアの差がついて、何とかランキング2位は
取ったけれどそれはセナやシューマッハーに物凄く肉薄されながらの結果で、
ライバルは「マンセルは無理だけどパトレーゼなら追えそう」と言わんばかりに
真っ先に標的にされて、デビュー2年目のシューマッハーに追い回されて・・・
(で翌年はシューマッハーにボコられるわ、チームに虐められるわ、と・・・)
ここまでクソミソに書かれるんだったら、この本はいっそ「マンセルとFW14B」に
特化したほうが、「ポンコツのチームメイト」のことを思い出さなくてすむわ!
パトレーゼの熱烈なファンだという人には勧められない本です。FW14とか、FW13Bの本
出ないかなぁ、出るわけないけど。パトレーゼはそちらのマシンの方がいいですね。

そのうえで余計わからないこと。
よく知られているように、パトレーゼは明らかに(ベネトン行っても)、新兵器・
アクティブ・サスペンションに馴染めず、FW14Bに初めから手こずっていたし、
マンセルはFW14B以前にもアクティブサス経験があった(成功していたかはともかく)。
ドライバーとしての腕だって、どんなに盲目なファンでも「パトレーゼ>マンセル」と
言う奴はいないはず。つまり誰が見たって、マンセルがパトレーゼをかつてのピケばりに
警戒する必要はないんじゃないか?と思われるのですが、
「ふたりなかよし」に見せてきた裏で、マンセルはパトレーゼ側にデータを教えなかったり
嘘を教えたりしていて、パトレーゼがマンセル側の裏切りに気付いたのはシーズン終盤、
マンセル側の「嘘・秘密主義」はフランクなどチーム上層部にまで及ぶほどだったという
マンちゃんのパブリックイメージとかけ離れた政治的な姿がこの本で暴かれています。
「私の好きなマンちゃんじゃないやい!」悲しくなったけど、チャンピオンになるって
こういうことかもしれません。そして、コース上でしょっちゅう譲ったり譲られたりといった
屈辱を強いられて「バカヤローふざけんな!」と言えないパトレーゼもまた、残念ながら
「いいとこ止まり」の器だったということなのかもしれません。
・・・なのに、です。
なぜ、マンセルはそうまでしてパトレーゼを厳戒マークし続けたのか??

blog開設期にマンセルの記事を書いた時は、なにせ観ていない時期なのもあって
80年代半ばのネルソン・ピケとの激しいチームメイト間バトルを知りませんでした。
セナプロは双方の尊敬が根底にあるライバル関係で、最後には美談になるほどですが
ピケマンは、ピケが意地悪さんなのとマンちゃんが冗談通じないタイプのために
ただただ洒落にならない最悪の間柄。二人でやり合っている隙を、プロストにつかれ
漁夫の利をとられてしまうほど。
そんな二人、当初は2度のワールド・チャンピオンを獲っているピケが圧倒的優位。
しかし次第にマンセルが覚醒し、ピケを凌駕する場面が増えていき、泥沼の争いへ。
以降、FW14Bを手にするまで、実力者ではあるけれどチャンプにはいつもなれない、
不運ながらその才覚は多くの人に認められるまでに育っていったのです。
誰も初めは、マンセルがピケと対等に戦えるなんて期待もしていなかったのに。

推測になりますがやはりこの時の体験が、マンセルのトラウマになっていて、
当時の自分と同じ位置にパトレーゼが立つことを、過剰に想像してしまったのでは。
91年のパトレーゼはキレキレで(だからファンになった)、シーズン通算すると
予選で9-7でマンセルをぶっちぎったり、アメリカやメキシコでは「おい、危ないよ、
ぶつかるだろ!!」とヒヤヒヤするほどの至近距離でドッグファイトを繰り広げる
場面がみられたりして、観ているほうにはなかなか面白いことになっていましたが
これがマンセルにとっては「脅威」だったのでしょう。
但しマンセルは後半盛り返し、セナとチャンプ争いまで持ち込んでいるし、マシンの
信頼性も後半の方が良いしで、何だかんだでマンセルの方が「持ってる」のは明らかで
仮に「情報操作」無しで戦っていても普通にマンセルが勝っていると思うんですけどね。
一説には、マンセルは思いこみが激しく、被害妄想が強い人物だという話もちらほら。
それまでの人生が苦労人過ぎたから、悪い方へと物事を想定しがちなのかもしれません。
ただ、一介のパトレーゼファンとしては、「情報操作」なしのガチ勝負だったら
一体どこまで健闘できたのか?史実ほどボロクソにやられたのか?を観てみたいという
興味はあります。もっとがっかりするかもしれないけど。

情報量に少々圧倒されながらも、懐かしくなってその日はYoutubeでF1三昧でした。
甘いにがいあの日の想い出が蘇る、徹底的にマニアックなムック本。
詳細なデータもたっぷりなので、F1オタクの自負がある人にはきっと保存版!

MP4/4や641/2のほうも読んでみたくなりました。



おまけ、シューマッハーファンのあなたへサービス。
92michael.jpg
92年は初めてシューマッハーが優勝した、記念すべき年!初表彰台は母国ドイツと
めきめき頭角を現してきた年でしたね。
まだまだ幼さが残り、実は結構「イタズラ大好きの悪ガキ」の表情を頻繁に覗かせていた、
今から見ると新鮮すぎる、この頃のシューマッハーは嫌いじゃないです。
そんな彼も引退してしまい、リアルで見たドライバーがいまやひとりもいない現状は
やっぱりちょっと淋しいなぁ。

あ、よかったらFC2のF1動画↓も観てって下さい。このところ全然F1関連記事を書かないから
新作がないので、書庫と化してますけど。たまにまれにチェックしてますんで。
http://video.fc2.com/member?mid=11526797
「投稿動画数」の数字をクリックすると、これまで投稿している動画のリストが出ます。



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音楽と縁の深いF1ドライバー:その2 ジャック・ヴィルヌーヴ「オリジナルCDアルバムをリリース!スタイルはパンクス、音楽はアコースティック」

90年代も後半に差し掛かると、F1開催団体、スポンサー等の圧力もあってか
かつてのような個性派ドライバーは減って、優等生的言動のドライバーが
大勢を占めるようになっていきました。
「F1が以前よりつまらなくなってきた」という声が少しずつ増え始めた頃です。
しかし、そういった趨勢をものともせず、歯に衣着せぬ発言と独創的な振る舞いで
我が道を行くF1ドライバーがいました。
ジャック・ヴィルヌーヴ(プラチナブロンド)
額が若干広いきらいがありますが、そんなことを全く気に留めないかのような
鮮やかなプラチナブロンドのカラーリングが眩しい、彼の名はジャック・ヴィルヌーヴ
アイルトン・セナやジャン・アレジなど、数多のF1ドライバーがカリスマと仰ぐ
夭折のレーサー、ジル・ヴィルヌーヴの息子です。
以下、彼の奔放なヘアスタイル・コレクションと共にお届けします!

F1ドライバーにとって視力が悪いのは致命的。しかしジャックは基本、眼鏡ユーザー。
しかもその理由が、日本F3000選手権参戦中に寂しさを紛らわせるためにのめり込んだ
ゲームボーイのせいだと専らの噂。
詩や小説を愛する一方、PCマニア、ゲームマニアで、いわゆる「オタク」。
家に引きこもってゲームばかりやっていたせいで、婚約者にフられたりするほどです。
ジャック・ヴィルヌーヴ(長めアレンジヘア)
M字が進行してきても気にせず軽くカラーリング、ぱっと散らしたアレンジ。
レッチリのフリーの如く、紫色に染めていた時期も!
ドライバー仲間と一緒にスキンヘッドに挑戦し、関係者を唖然とさせたこともありました。

さて、そんな曲者レーサー・ジャックには、最も大事な趣味があります。
それは音楽を聴くこと、そしてアコギ片手に作曲をすること。
自宅の音楽CDは数千枚ともいわれ、音楽愛は本物。
そして何と、2006年、自らが経営するレストランより、インディーズで
オリジナルCDアルバムPrivate Paradiseプライヴェート・パラダイス)」を
リリースしてしまったのです!
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動画に映っている映像は、本作のジャケット写真。頭頂部のトリミングが素晴らしいです。
しかしこうやって見ると、ヒップホップのアーティストのアルバムのよう・・・。
パンクな言動、とりわけ髪型から、てっきりパンク・ロック風の作品を
作っているとばかり思っていましたが、お聴きのとおりアコースティックな作風。
全13曲中、実に6曲がジャックの作詞作曲で、ピアノを演奏した箇所も。
レコーディングに当たり、特別トレーニングを受けたわけではないこともあり
ジャックの歌は「とっても上手い!」といった類ではないですが、
リラックスして楽しんで歌っているのが聴いていて伝わってきます。
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この曲は妹でプロ歌手のメラニーとのデュエット。
驚いたことに、ヴィルヌーヴ家はF1一家のみならず(ジルの弟=ジャックの叔父さんもレーサー)
お祖父さんはピアノの調律師、そして父ジルはピアノとトランペットを嗜んでおり、
れっきとした音楽一家でもあるのです。だからジャックが音楽を愛するのはもはや必然。

ジャック・ヴィルヌーヴ(眼鏡&パーマヘア)
パーマをかけてみました。何かこんなミュージシャンや俳優いそう(笑)
割と何でも似合いますね。
因みに、ジャックのファッションはサーキット上でも構わずカジュアルで、
「F1ドライバーなのにだらしない」「ハイグランジ」などと言われてきました。
レーシングスーツもわざと大きなサイズを着て、いつも着崩しています。

何気にジャックは97年のワールドチャンピオン。そんな彼がなぜ、音楽CDを
制作・リリースしたのか?
長いこと作曲を続けてきたジャックは、自分の曲を本格的にスタジオで録音したら
どんな風に聴こえるのか興味がありました。勿論、目標はリリースすること。
そして根底には「音楽が好きだから、楽しみたいから」があって、
本業はレーサー、音楽はあくまで趣味にとどめるつもりだとか。

本作の収録曲で、F1関係者やフリークの間で恐らく最も話題になったものがこちら。
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カナダ人歌手との共演。父を亡くしたときにメラニーが曲のベースを作り、
CDリリースの数年前にジャックが手を貸して完成した曲です。
テーマはズバリ、父、ジル・ヴィルヌーヴ。
動画では父と息子の、レーサーとしての姿と共に、父の姿・子どもの姿を垣間見られます。

デビューイヤーの同僚で、2世ドライバー、父の夭折、音楽好きといった繋がりのある
デイモン・ヒルが、父への憧憬を常々口にしてきたのとは対照的に、ジャックは
「小さい頃に亡くなったから、あまり想い出はない」と冷たい調子。それもそのはず、
レースの道を志してからというもの、「ジル・ヴィルヌーヴの息子」という称号は
スポンサーを得る格好の材料にはなれど、それ以上にジャックにとっては
苛烈なプレッシャーとしてずっとのしかかっていた、はっきり言って「余計なもの」。

しかし、ジャックのF1ドライバーとしてのキャリア・ハイはデビューイヤーの96年と
ワールドチャンピオンを獲得した97年で、以降は右肩下がりの戦績となり、
シート浪人も経験。周囲からの期待が減っていくのは、同時に「ジルの息子」という
重圧から解き放たれることも意味していたのかもしれません。
父ジルがついぞ成し得なかった、ワールドチャンピオンも達成することが出来たし。
また、本CDをリリースした06年は、現時点でジャックの最後のF1キャリアの年でもあって。
04年にはクラシックカーのイベントで、父と同じマシンに同じデザインのヘルメットで運転、
06年にはジルのセレモニーにもフェラーリ関係者と共に参加と、父に対する複雑な感情を
乗り越えた、通り抜けたことが窺えます。
父ジルが活躍したフェラーリでのドライヴが期待され、何度かチャンスもありましたが
いずれも様々な事情で潰えています。

ジャック・ヴィルヌーヴ(俳優風)
遂にベテラン俳優のように進化!華麗なトリミングに涙が出ます。
「ハイ・グランジ」だけあって、パール・ジャムのエディ・ヴェダーすら彷彿とさせる?

ジャックの楽曲は、本記事で動画にして取りあげたYoutube経由のもののほかに、
公式MySpaceで、音楽や動画を楽しむことができます。
音楽の喜び楽しみはミュージシャンも音楽フリークもF1ドライバーも一緒
遙か遠くにいるような存在のF1ドライバーが、何だか身近に感じられて嬉しくなります。


最後に、全日本F3000選手権参戦時代の、若きジャックの姿を。
この時92年、そしてF1デビューイヤーの96年には既に頭髪の悩みが。
その間、僅か4年。泣けてくるぜ、泣けてくる(I am the Walrusの訳詞風に)・・・
ジャック・ヴィルヌーヴ(若かりし日のフサフサロングヘア)

テーマ:F1グランプリ - ジャンル:スポーツ

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音楽と縁の深いF1ドライバー:その1 デイモン・ヒル「ジョージ・ハリスンとの浅からぬ縁の物語から、ストーンズ、エルヴィス・コステロまで」

時は1977年、パンク・ロックやニュー・ウェイヴなどの台頭によって音楽シーンが激変し、
60~70年代のミュージシャンがこぞって苦戦を強いられた時代。
元ビートルズのジョージ・ハリスンも例外ではなく、かつての勢いを失って
音楽作りに疲れ、曲作りを全くせずに、昔から大好きだったスポーツの観戦に
興じていました。そのスポーツこそが・・・F1!
サーキットに通い詰めるうちに、ジョージは様々なF1ドライバーと仲良くなりました。
代表的なのは、ジャッキー・スチュアートニキ・ラウダグラハム・ヒルなど。
音楽へのモチベーションを失っていたジョージは、こうしたF1ドライバー達との交流から
大きなエネルギー、インスパイアを得ます。
その最たるものは、ニキ・ラウダが瀕死の重傷を負う激しいクラッシュ事故から
見事生還したこと。顔などに火傷の痕がありありと残るも「不死鳥」と讃えられました。
「僕ももう一度やれるはずだ」ジョージは意気込み、愛に溢れた傑作アルバム
George Harrison(邦題:慈愛の輝き)」をリリース。
その中に、エネルギー源の一つとなったF1ドライバー達への感謝と、「闘いの後、
リラックスして聴いてほしい」という願いを込めた曲「Faster」が。
タイトルはジャッキー・スチュアートの自伝からとったそうです。
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70年代後半のF1が手に取るようにわかるPVになっています。
タクシーに乗ってジョージが弾き語りをする、その運転手、よく観るとスチュアート!
ラウダが表彰台に登る姿や、パトレーゼ、ピケ、そしてグラハムのヘルメットも確認できます。
つまるところ、ジョージのF1好きは、かなりガチです(笑)

そんな日々の最中、グラハム・ヒルが、自身の運転する航空機の事故で不慮の死。
グラハムは保険に入っておらず、更に同乗者を何人も巻き込んでいたために
遺族は補償金の支払いを求められ、安泰だったはずの家計は暗転、火の車に。
父を慕ってやまない長男・デイモン・ヒル、15歳の出来事でした。

バイク便などのアルバイトをしながら、デイモンはロック・ミュージシャンを目指したり、
二輪レースをしたり、そして父と同じ四輪レースの道へと転向したりと未来を模索します。
しかしながら、モータースポーツに参戦するには、他のスポーツとは段違いのお金がかかり、
このような生活では、上位のカテゴリに参戦するには資金的に厳しいものがあります。
そこで、イギリスF3の参戦にあたり、父グラハムと親交があったジョージに
「無作法は承知だが、背に腹は代えられず」参戦資金の無心を依頼する手紙を出します。
するとジョージは快諾。心を動かされてのことでした。

何とかF3に参戦→国際F3000までステップアップするも、なかなか芽が出ず。
不遇+貧乏に喘いだデイモンですが、91年年末にかけた一本の「ダメモト」の電話が
運命を激変。何と、ウィリアムズのテストドライバーの座をゲット!
優れた開発能力で、92年のウィリアムズをドライバー&コンストラクターチャンピオンまで
導き、ストーブリーグに敗れて&嫌になって「引退」を決めたナイジェル・マンセル
強い推薦から、翌年度のセカンド・ドライバーのポストを得て、遂に本格的なF1デビュー。
チームメイトのアラン・プロストのドライビングから学び、同年には優勝できるドライバーに。
そして翌94年の同僚・アイルトン・セナの死によって、唐突にエースドライバーに昇進。
94~96年までチャンピオン候補として闘いを繰り広げ、96年、念願叶って遂にチャンピオン!

デイモンは、ジョージにイギリスF3の際の借金の返済を申し出ますが、ジョージは笑って辞退。
なにせ、95年オーストラリアGPでデイモンが優勝した際、喜ぶあまり
『ビートルズ・アンソロジー』の発売を公式発表の前に思わず言ってしまうという
フライングをするほどだったのだから。

当時のジョージがデイモンを語るインタビューの動画があります。
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英語ですが、「セナ」などの単語が聞き取れるあたり、ジョージはデイモンをずっと
見守り続けていたといっていいでしょう。
ギタリスト繋がりで、一緒にセッションをすることもあったようです。
癌との闘病の末、01年に亡くなったジョージ。生きているうちにデイモンの晴れ姿を見られて、
デイモン側からいえば存命中に晴れ姿を見せられて、双方、「本当によかった」ことでしょう。

デイモンとミュージシャンとの繋がりはジョージに留まらず、
95年のポルトガルGPにはミック・ジャガーが陣中見舞いに訪れ、
97年はロン・ウッドの誕生日にも招かれたそうで、何とビートルズもストーンズも虜に!
そして、こんな豪華競演も。
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エルヴィス・コステロ!元ピンク・フロイドのドラマー!
もう凄すぎの「スタンド・バイ・ミー」です。
日本で「イギリスのF1ドライバー」といえばマンちゃんですが、本国でのスターは専らデイモン。
イギリス人が思い描く、身近で親しみやすい性格や立ち居振る舞いなのだとか。
じゃあマンちゃんは・・・・・・

かつてミュージシャンを目指していただけあり、ギターの腕はなかなかのもので、
親交のあるイギリスHRバンド、デフ・レパードの1999年発売のアルバム
『Euphoria』に収録されている「Demolition Man」では、
何と、デイモンのギターソロを聴く事ができるそう。
ジョニー・デップがOasisの3rdに参加してソロを弾いた時と同じ現象だと思ってください(笑)

そして自らのバンド、「Damon Hill & The Conrods」での演奏姿の動画もあります。
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すっかりロマンスグレーの紳士と化し、ジョージ・ハリスンか秋篠宮殿下かと見紛うほど。
飄々とギターを構える姿はF1ドライバー時代を彷彿させるも、
最後には思い切りポーンと飛び跳ねたり、おどけたりして、お茶目。
なんだかとっても楽しそうです。
因みに白髪は、父グラハムを亡くした15歳の頃から現れ始め、
ドライバー現役時代には一生懸命染めていたのだそう・・・
こんな辺りからも苦労人が滲み出てきます。
セナと僅かな間、同僚を経験しましたが、実はセナと同年齢だったりも。

ワールドチャンピオンには珍しく、人格的にバランスの取れたナイスガイとして評判で、
人脈も広くて、ちょっとひょうきん。
現在のデイモンがジョージそっくりの容姿になったのは、決して偶然ではないような気がします。
映画『ジョージ・ハリスン/リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド』には
今度は、デイモンがジョージを語る場面が収録されているのだそう。
何だかんだで劇場に足を運び損ねて、後からこの事実を知ってますます嘆いているのですが
こうなったら、DVD入手やレンタルに願いをかけるのみ!


最後に、この記事を書きながらずっとかけている、参考「音」献を。

慈愛の輝き慈愛の輝き
(2010/09/15)
ジョージ・ハリスン

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ジョージのソロでは「All Things~」と並ぶベストだと思っています。
全曲に愛が溢れていて、聴いていてこちらまで幸せな気分になれます。

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F1:その6 リカルド・パトレーゼ(前編)「30代半ばからのサクセスストーリー!セカンドドライバー界のカリスマ」

今回の連載記事、初めの内はあまり何も考えずドライバーを次々に書いてきましたが
(流石にセナ→プロストは考えた。連載中盤で、パトレーゼをトリにすることに決めた)
想定外の奇蹟が起きました。
カーナンバー「6」が目印のリカルド・パトレーゼに、6回目をあてがうことができた!!!
やったーーーーーー!

このドライバーは連続出走記録を長いこと持っていて(現在は歴代3位)
鉄人」のあだ名でおなじみ。
つまりそれだけ、歴史が長く、エピソードも多いわけで
熟考したあげく、前後編にすることにしました。

前半は「史上最強のセカンドドライバー」と呼ばれてきた時期を中心に
印象的なエピソードを挙げていきます。

最近思うのですが、よく「パトさん」「パト様」って呼ばれていますが
日本以外でもこのような扱いってされているんでしょうか?
優勝経験6回の、セカンドドライバーとして有名な人がですよ?
「いぶし銀」「イケメンオヤジ」などは海外ものを訳した本でも見ましたが
日本じゃ、ある意味、セナみたいな神格化をされてません?
想像するに、パトレーゼ(以下パトさん)の、黙々と自分の役割を全うする姿勢が
日本人の感性にピタリとはまるんじゃないかなと。

私もパトさんがリアルタイム以来大好きですが、なぜかというと、
ファーストの皆さんの「俺が俺が!」イズムがちょっと苦手だったんです。
マンセルの回で、弟のマンちゃん好きを書きましたが、マンちゃんも当時は
「このわがままめ!」って印象だったな・・・今は面白いけどw
それで当時はパトさん、ベルガー、アレジ辺りを応援していました。
子どもの頃からひねくれてるのだろうか・・・それとも、上のきょうだいの性質?


【episode one:イタリア人には母国GPは・・・あった!】

セナの回で、91年母国ブラジルGPで優勝して大号泣する動画がありましたね。
そこでの表彰台のシーン、2位のパトさんがセナに何か話しかけています。
どんなやりとりがあったか定かではないですが、想像するに、これから書く
「前年の、自身のなかなか勝てなかった母国GPでの勝利」の経験が
眼前のセナと被って、祝福の言葉をかけてあげたのかな?という気がするのです。
セナはあんまり聞いていませんが(苦笑)

パトレーゼは(ユダヤ系)イタリア人。従ってイタリアが母国で、
モンツァやイモラ(「サンマリノ」GPと言いつつ、実はイタリアにある)は
母国GPにあたります。
しかし、イタリア人のF1ファン=ティフォシ達の優先順位は
母国ドライバーよりも、母国チーム、つまりフェラーリ。
日本で「マクラーレンホンダ(エンジン)」や「レイトンハウス(チーム)」が
結構応援されながら、同時に中嶋や亜久里や右京もしっかり応援されていたのとは
だいぶ事情が違うようです。

悲劇は83年、イモラでのファイナルラップで起こりました。
トップを走っていたパトさん、痛恨のスピン、リタイア。
そうしてフェラーリのマシンがトップになり、ティフォシはやんややんや、
パトさんには罵声が浴びせかけられたと・・・
失意のパトさん、「イタリア人には母国GPは無い」との悲しい名言を残し
その後はトップを走れるようなチームにはなかなか在籍できず、
「パトレーゼのキャリアはもう終わりか?」というような、冷や飯の日々が続きました。

転機の訪れは88年(正確には87年末)、ウィリアムズへの移籍。
移籍初年度はイマイチでしたが、翌89年からは、それまでが嘘のような活躍を
みせはじめます。
セナプロ鉄壁マクラーレン時代に、フロントローをもぎ取ったり、
優勝こそしないもののコンスタントにポイントを重ねて、
セナプロに次ぐ、年間ランキング3位につけたり!
気がつけば、相棒「振り向けばブーツェン」を戦績で上回ってしまいました。
コンストラクターズでもマクラーレンに次ぐ2位。
持ち前の開発能力を発揮して、マシンもじわじわと良くなっていきます。

そして迎えた90年イモラ。
いろいろあって、フェラーリが2台ともリタイア。応援する対象を失ったティフォシは
トップを走るパトさんに、やんややんやの大声援!
優勝するのも久しぶりだけど、まさかあのティフォシに大声援で迎えられるなんて!
ファイナルラップ、職人肌の36歳は、バイザー越しに涙を流していたそうです。

一度ツキを逃し、下り坂に踏み込んでしまうと、殆どのドライバーはそこでおしまい。
下って、下って、下り続け、気がつけばもうF1には乗れるシートがない・・・
「史上最強のセカンドドライバー」という実績も素晴らしいですが、この
「30代半ばにして、まさかの再浮上」は、もっと評価されていいと思うんです。


【episode two:アクティブサス開発の功績と悲劇】

91年までは、セナ/マクラーレンが辛うじて優勢でしたが
翌92年から、「ウィリアムズ黄金時代」とも呼ばれるほど
ウィリアムズのマシンは「退屈なほど」圧倒的な速さを誇るようになりました。
この時代に、マシン開発の中核を担ったのが、パトさんと、
当時テストドライバーだったデイモン・ヒル、そして
現在も活躍中の天才デザイナー、エイドリアン・ニューウェイでした。
91年末には出来上がっていたFW14Bは、他を寄せつけない激速マシン。
プロストの回で書いたように、セナもプロストもこぞって乗りたがり
ストーブリーグが大荒れになるほど。

しかし、同じくプロストの回にも書いたように、このハイテクマシンは
とっても速いかわりに、とっても扱いづらいという欠点がありました。
「アクティブサス」という、パトさん達が開発したハイテク兵器は、
マシンの速さを限界まで引き出すことができるのですが、
独特の挙動があって、ドライブする側としては限界が掴みづらい。
更に、強靱な腕力、体力がドライバーに要求されました。

92年のマンちゃん、いやこの年なら「マンセル」は、いつになく本気。
体重を絞り、厳しいトレーニングをし、いつもは乗り気でないテストにも
積極的に参加していました。
マンセルは大柄で、剛胆なドライビングが持ち味、細かいことは気にしない。
加えて、実は大学で航空力学を専攻していたりして、技術的な面にも明るく、
「限界が掴みづらい」アクティブサスを、独自の解釈で攻略。

全てが、マンセルの為にあるような年でした。
最強のマシンに乗って、悲願のチャンピオン、いつものポカも殆どなし、
チャンプのまま惜しまれて引退・・・と、寧ろマンセルらしからぬシーズン?
表彰台はほぼいつも、マンセルとパトさんのウィリアムズコンビで、
コンストラクターズもぶっちぎりのチャンピオン。

「史上最強のセカンドドライバー」の称号は、この年に付いたといえるでしょう。
パトさんは徹底的に後続をブロックし、マンセルの優勝に「献身的な貢献」。
・・・しかし、マンセルがシーズン最多勝記録を樹立する傍ら、パトさんは鈴鹿の1勝のみ。
91年は序盤からマンちゃんに予選7連勝したり、メキシコとポルトガルで2勝を挙げたのに。
大きく水を空けられ、ジャーナリスト達に「マンセルが勝てるのになぜ勝てないのか」と
言われ続ける羽目に。

自分で開発したアクティブサス。パトさんは、皮肉にもそれに馴染めませんでした。
翌93年にはプロストやヒルがそれなりに乗りこなし、一定の勝利数を挙げたために
余計に「なぜパトレーゼだけダメだったのか」と、残念な評価に繋がって・・・。
ほんとは91年のFW14(アクティブサスがないマシン)が合っていた、と
自分でも言っているパトさん。
でも、自分のスタイルには合わなくても、良いタイムが出る以上、開発に加わるしかなかった。
91年の活躍があまりに眩しく、ベストシーズンといえるようなものでしたが
チームのベストシーズンとはズレてしまった・・・

こんな辺りが「セカンド」たる所以なのでしょう。哀しいけど。

そして最近、更に残念な事実を知りました。
パトリック・ヘッド曰く、92年ウィリアムズは、マンセル&担当メカニックがグルになって、
パトさんをマークして、嘘の情報を教えたりしていたって・・・。
チームオーダーが露骨になっていった、というのは何となく知っていましたが
そこまで偏った環境にあったなんて・・・。
差がついた原因は、「アクティブサスが合わない」だけではなさそうですね。
ここまで知ったときは「哀しい」じゃなく「悲しい」になっていました。
シューマッハがベネトンやフェラーリでやってきたことと変わらないじゃないですか!

まぁ、チームがこうしたのは、パトさんが来る前、マンセルとネルソン・ピケが
ウィリアムズで、激しいチームメイト間争いを繰り広げ、そのせいでチャンプを逃した
(プロスト教授がしっかりかっさらった)苦い経験があるからでしょうが。
それにしたって・・・
マンセルの回を書いている時は、このエピソードを知らず、「チームワーク感が好き」なんて
書いていましたけど、今となってはその気持ちも微妙なものになってしまいましたね。

けど、この「ほろ苦さ」こそ、パトレーゼ。
「いぶし銀」といわれる渋いかっこよさは、こういった苦境の中で培われた賜物でしょう。


そうして、92年でウィリアムズを去って、93年からはベネトンへ移籍し
ウィリアムズで「何とか御してきた」シューマッハとチームメイトに。
似合わない黄色のレーシングスーツを見た時、何だか嫌な予感がしたのを
今でも覚えています・・・
まるで、セナの似合わないロスマンズカラーに違和感を覚えたのと
似たような感覚で。
まさか「死ぬよりつらい」思いをすることになるとは・・・・・・


この続きは次回、後編で!
今回の前編で書いた「表の顔」とはちょっと違った「裏の顔」、
そして、過去と現在とが不思議に繋がる物語をお送りします。

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F1:その5 アラン・プロスト「楽しく学ぼう!偉大なるぶきっちょ、教授たん入門講義」

よりにもよって、ベテランドライバーばかりを後ろに残してしまった為に、
知識不足を記憶+今までネットから得た情報でも補えなくなり
更にいろいろなサイトや、すごーく久しぶりにF1雑誌や
もしかして初めて?なF1関連書籍などに目を通してみる日々でした。

「案外最近のF1もいけるようになるかも?」と感じかけたところで
「F1地上波放送終了のお知らせ」ですよ。
今ほど、自分を疫病神だと思う時はないですよ・・・!
なぜいつも、興味をもったものもったものが次々に、
詳しくなってきた所で「既にオワコン」になっているのか・・・?
いや寧ろ、失ったもの、遠い想い出にしばしば強くハマるために
必然的にコンテンツが限界に達しているのか?

F1好きの皆さん、今回の件は全て私のせいです。ゴメンナサイ。
・・・なんて、それ以前にF1人気に翳りが出てたり、F1開催団体側の事情や
フジの事情もあったりしてたみたいなんですがね。


んで今回は、世界最速のヒール、アラン・プロストについてです。
通称「教授」、海外では「プロフェッサー」。
群雄割拠の時代に4回もチャンピオン、チームメイトはチャンプクラスばかり、
もう少しでチャンピオン!だったのも4回と、なかなかに凄い戦績。
正確なドライビング、巧みなレース運びで(古舘語録では「F1勝利の方程式」)
一発の速さが自分を上回るライバルにも、最後にはきっちり勝っちゃう。
偉大なる、今風にいえば「スマートつっこみ」ならぬ「スマートドライヴ」ですが
「偉大なドライバー」等のランキングではセナ、シューマッハに及ばず
実績ほどには人気がない・・・それどころか、未だに嫌われがちじゃないですか?
あとは、ちょっと入るには敷居が高そうなイメージとか・・・(私のことです)

今回は、そんな食わず嫌い、偏見、敬遠が少しでも減るように、
プロスト教授をなるべく楽しく解剖していきましょう!


1時限目「教授が教授になるまで」

さぁ、講義の始まりですよ!ホラ、そこ、私語は慎んで!

大学でも、大学生→院生→研究生→助教→講師→准教授→教授、と進むように
プロストとて、最初から教授だったはずがありません。
そこらの大学教授と同じく、教授になるまでは、紆余曲折あったというわけで。

F1前の下位カテゴリーをふまえ、F1デビュー時は「講師」としましょう。
初めのうちから強いチームに居たこともあり、早くから頭角を現します。
すぐにステップアップ!准教授に昇格です。
スムーズで正確かつ速い、独特のドライビングから、既に当時から
海外では「プロフェッサー」のあだ名はついていたそうです。

しかしここからの壁が案外厚く、「速いけどチャンプは逃す」こと数回。
91年までのマンちゃんのように「プロストにチャンプは無理」と
言われていたそうな。

准教授が教授へと昇格するきっかけは、マクラーレンにて、
チームメイトにして偉大なる教授、ニキ・ラウダとの出会い。
ピケにも影響を与えていますから、ピケとプロストは
いわば兄弟弟子といえるでしょう。
教授には教授がいたというわけですね!
プロストが何度もチャンプを逃し続けている頃、ラウダは賢い戦略で
当時「最速」と言われていたプロストを御していました。
プロストは、チームメイトのこういった走りから学び、
ついにはラウダを超えて、チャンプを獲れるドライバーに!
そして、ラウダ名誉教授は引導を渡すように引退し、
プロストが満を持して「教授」に就任、セナがマクラーレンに来るまで
「最強」「最速」の名をほしいままにしてきたのです。

更に、ダラダラ粘って晩節を汚すドライバーが多いなか
プロストは、(ドライバーとしての)去り方が美しすぎる。
母国ルノーエンジンを搭載した、当時最速のマシンを有したチームで、
4度目のワールドチャンピオンを獲って、惜しまれつつ引退!
引退年にワールドチャンピオンというドライバーは希有でして。
セナとはまた違った意味で、「美しいまま」の姿で
有終の美を迎えられるなんてあまりにカッコイイ。

ここまでの内容をハイライトでまとめたようなトリビュート動画が
あるので、1時限目はこちらを観て締めくくりにしましょうね。
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最後の方で、3連チャンで面白シーンがあったような気がしますが・・・
それは次回の講義で!


2時限目「教授たん」

ボンジュール!前回の講義の続きからいきますよ~。

トリビュート動画で、こんな面白シーンが矢継ぎ早に登場しましたね。
まさかの変顔披露
上半身裸で、ムッキン!マッチョ自慢
爪を噛む(これは教授のクセ)
そして意外にも、マンちゃんみたいな
タイヤポロリ
マシンを押してゴール(マンちゃんは気絶したけど、教授は無事w)
なんてシーンもありましたね。

これを観て、「教授って案外おちゃめなんじゃないのかなぁ?」
思うようになったりならなかったり・・・

なにせセナプロ時代は「わるもの」扱いが行きすぎてるし、
それに終止符が打たれて教授再評価になったら、今度は偉大すぎる
イメージになってくるし。
マンちゃんみたいなネタ満載でもなく、ピケみたいな奇人でもなく、
セナみたいな子どもっぽさや電波な言動もないし、
ベルガーやパトレーゼだって「いたずらw」「鉄ちゃんw」といった
突っ込みどころがあるのに、教授にはそういうのがなかなかなくてねぇ。
セナプロの頃に顕著な「チクり」や「モメ」、また「監督失格」は
笑えないし。
だから、このトリビュート動画に出てくるスーちゃめ教授の実態は
意外でしたねえ。

そしてもう一つ、最近聞いたばかりの斬新な情報が。
教授のトレードマークのカーリーヘアは、実は天然ではなくて、
ある時期から「アドバイスされて、カーリーヘアにした」
って!!!
イメージ戦略なんでしょうか・・・?わからない、あなたがわからないよ!


更に、それに追い打ちをかけるような画像が!
F1関連でググってたらこんなものを見つけてしまいました。
教授@グランプリ天国

村山文夫さんの「グランプリ天国」という漫画に出てくる
デフォルメされた教授です。
教w授wwかわいいwww
思わず「教授たん」と呼びたくなってしまったのは
主にこのせいです。
ちなみに同作にて、セナはまさかのこんな姿!
セナ様@グランプリ天国

今年のカレンダーには、BIG4のこんなほほえましいイラストも♪
BIG4@グランプリ天国カレンダー

みんな目が笑っていてかわいいw
ピケwww
マンちゃんはわかりやすいですよね。でも普段の漫画ではなぜか
左右の目玉の向きが、上下あべこべで、激しくポンコツぽいwww

この漫画、書店に行っても一向に見つからなくて困っています。
Amazonで頼んだほうが早いかもですね・・・中古を。
本当はBOOK-OFF巡りとかしたいけど、何かと手間そうだしなぁ。


ど~ですか皆さん?ちょっとは教授に親しみが沸いてきましたか?
今日の講義は、ここでおしまいですよ。


3時限目「ツンデレ」

さぁ~今日の講義は、お待ちかねのセナプロですよ!
この「宿命のライバル、転じて永遠の親友」の関係を
美しくまとめた動画があるので、まずはそちらをご覧ください。
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93年F1総集編のオープニングなんだとか。
「僕等は千分の一秒の阿修羅かもしれない」
「君がいたから、僕は僕でいられたんだ」

といった、大変印象に残るフレーズに溢れています。

ここで少し、1時限目の内容を確認しておきましょう。
教授には教授がいて、それがチームメイトで、
プロストはその人から真摯に学んだ結果、教授職を得た。
追加として、准教授時代のプロスト+教授ラウダによって
当時のマクラーレンが強豪チームとなった事実も付け加えておきます。

プロスト教授は、この「ラウダ+プロスト」のドリームチームを
今度は自分の手によって、マクラーレン・ホンダにつくりたい

考えるようになりました。
そこでかつての自分の役割として、目を付けたのが
アイルトン・セナだったのです。

しかしこれが大きな誤算になるとは・・・
セナは、かつてのプロストのように紳士でも従順でもなく、
プロストから「学ぼう」でなく、「倒そう」と目論んだ
いつからかセナの目標は「プロストを倒すこと、いや殺すこと」
「プロストが歩んできたキャリアをなぞること」になっていたと
教授が雑誌のインタビューで述懐していました。
自分に追いつくスピードも予想を遙かに超えて速かったし、
得意分野も、レースに対するスタンスも、何もかも真逆。

セナは、予選で誰よりも速く走って、決勝で逃げ切るタイプ。
人生はF1が全て、自分の速さを証明する為なら何でもするし何だって捨てる。
対して教授は、予選も頑張るけど決勝第一、速さや戦略で前に立つタイプ。
F1を愛しているけど、家族も、他のスポーツ等の趣味も、友達も大事。

更に、ホンダは「非欧州からのチャレンジ」という点で
ブラジル人のセナに共鳴し肩入れ、ロン・デニスもセナを贔屓。
セナが、ホンダから熱心に学び、熱心にフィードバックするのに対し
教授はカメラの前でグチグチとホンダの悪口、これも大きかったはず。
1人、また1人と、長年一緒にやってきたはずのスタッフが
自分から離れ、セナの側につき、いつしか孤立している・・・

あれれあれれ、教授は、マクラーレンから出ていく羽目になっちゃいました。

確かに、88年に16戦15勝を飾るような、最強すぎるチームにはなりました。
しかしそれが「ドリーム」かというと・・・
ロン・デニスからすれば、悪夢のような時期だったに違いありません。
89年、90年と、鈴鹿で2連続で起こった例のぶつけ合戦はあまりに有名。
教授がフェラーリに移っても、醜い争いが終わらない。
89年にぶつかった時、教授は同郷のお偉いさん、バレストルにチクって
セナ失格。(一般的には教授がぶつけたことになってますが、教授自身は
「ぶつかった、そうなるようなライン取りをセナがしてた」と言ってます)
90年はプロスト+バレストルへの報復だったと、セナ自身が91年鈴鹿で
認めちゃってます・・・さすがに90年は、マクラーレンもがっかりだったとか。

翌91年から、フェラーリは長い低迷期へ。対してウィリアムズが力をつけて
結果、セナのライバルは92年までマンセルに。
チーム内がひたすらゴタゴタする中、教授はここでも徹底的にチームを
こき下ろした結果、まさかの途中解雇(自ら出ていったともいう)。
教授を慕う後輩アレジは、1人置いていかれた形になって、長年、苦しい闘いを
強いられる羽目に。しかしその奮闘ゆえにティフォシに愛されたのだから
皮肉なものですね。

92年は浪人してフランスでレース解説者をしながら、ウィリアムズの
シートを虎視眈々と狙います。しかしここでまたもセナプロ対決勃発!
セナは「ただでもいいからウィリアムズに乗りたい」と言うのです。
同じチームになったら、またマクラーレン時代の再来になるのは確実。
教授は「チームメイトにセナは拒否」というオプションをつけて
スムーズに、ウィリアムズのシートをゲット。
セナはしぶしぶマクラーレンに残留。教授の勝利となりました。
この争いで割を食ったのが、チームをここまで引っ張ってきた
マンセルとパトレーゼ。2人ともチームを去ることになり、特にマンセルは
「引退」宣言をしたことから、マンセル/ウィリアムズファンから非難ごうごう。
かなりの逆風の中で93年シーズンを迎えることになっちゃいました。

すったもんだで手に入れたウィリアムズのシート。しかし、このハイテクマシン、
なかなかの曲者。速いんだけど、実は扱いづらい、という。
まるでマンセルの為に作られたようなマシンで、開発担当のパトレーゼが
乗りこなせないほど。マンセルくらの腕力や剛胆さがないといけません。
教授は確かにマッチョで体力もあるけど、小柄なのでそのあたりが不利。
かつてのセナのように、ひたすらデータとにらめっこの日々が続きました。
そうして、いざ開幕してみると、序盤に苦手(トラウマ)な雨のレースばかり、
マシン性能が不利なはずのセナやシューマッハが食らいついてくる、
更にはチームメイトでウィリアムズのテストドライバーだった、実質新人の
ヒルが、教授の走りから学んで、じわりじわりと成長、優勝を重ねるほどに。

1年のブランクも含め、かなり苦しい環境の中、
4度目のワールドチャンピオンを獲得!これは流石です。
しかし、この93年で、教授が世代交代の波や、自らのモチベーションの衰えを
実感したのももっとも。ウィリアムズが自分にあまり合ったチームではない、と
感じていた、という説、セナとやり合うのもそろそろうんざり、という説も。
結局、チャンプのまま引退することを選びます。

教授にしてはめずらしく、チームやチームメイトとのやり合いも特になく
結果も伴ったウィリアムズでの1年。
かつて夢見た「ドリームチーム」は、案外、この年に実現されたのかもしれません。
3年の間があくとはいえ、96年、ヒルはチャンプを獲る所まで成長します。

そうして、ようやく長いセナプロの闘いに終止符が打たれます。
あのぶつけ合い合戦の日々が嘘のように、2人に友情が育ったのです。
もう何のしがらみも無くなり、いまや互いが一番の「よき理解者」へ。
セナは教授に、毎日のように電話をかけてきたのだとか。
教授が引退して、一番喪失感を味わったのが他ならぬセナだったのです。

ここまでのセナプロの駆け引きについて、アンサイクロペディアの
「アイルトン・セナ」のページ
が絶妙すぎる。
ツンデレ」って!なんと言い得て妙でしょう。
対立関係が泥沼になっていた期間も、本当はカメラが回っていない所では
普通に話していた、と近頃は明らかになっています。

政治的駆け引きや醜いエゴのバトルがなくなった、最後のセナプロ対決の
楽しい動画があります。チャリティイベントなのになんという大人げなさ!
セナ、思いっきり教授のほう何度も振り返ってます。子どもか!w
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94年、セナは教授以上に、チームともマシンともしっくりいきません。
シューマッハが開幕2連勝するのを尻目に、結果を全然出せない焦り。
この時期から既に、マシンの挙動が危ういことに気づいていたとか。
そうして迎えたイモラ。フリー走行、予選とクラッシュが相次ぎ、
予選で大クラッシュしたローランド・ラッツェンバーガーは死んでしまう。
決勝前、セナは教授を呼び、スタッフに「2人きりにしてほしい」と頼みます。
教授曰く、今まで見たことがないほど弱気で不安定なセナがそこにいたと。
「何かがおかしい」とレース関係者の誰もが口を揃えていたこのイモラ。
教授だったら絶対にドライブしない状況、セナ本人も最後まで迷った末
コクピットに乗り込む道を選びます。天国へ続く道へ・・・。
死の2日前、解説者席にいる教授に無線で「アラン、君がいなくて淋しいよ」
呼びかけたエピソードはあまりに有名でしょう。

波乱のレースが終わり、フランスへ引きあげる飛行機の中、「その報せ」が。
他のTV関係者が黙々と、次戦に向けて準備にかかり、普通に話している光景が
信じられなかった、と、教授は振り返ります。
号泣する教授に、周りの人々は声をかけられなかった、という話も。

現在、教授はセナのファンクラブのフランス支部名誉会長なんだとか。
あの思い切りセナ寄りの映画「音速の彼方へ・・・」も、教授の全面的な協力が
あったんだそうです。これはけっこうびっくり、改めて内容を思い出すと。


おっと、今日の講義は大幅に長くなってしまいましたなあ。僕の悪い癖。
次の講義が最終です。皆、忘れずに出るように!


4時限目「ぶきっちょ」

最終講義は、まとめとして、教授の「ぶきっちょ」振りについて見てみましょうね。

「教授」って言うからには、完璧な人間を誰もが想像すると思うんですが、
コース上ではさておき、アラン・プロストさんという人が果たして「完璧」かというと
はっきり言ってアラだらけなんじゃないでしょうかね。

・チームとしょっちゅう喧嘩、結果自分がチームを出る羽目になる
・マスコミにチームやチームメイトの愚痴を言いまくり、イメージダウン
・何かあるとF1界の偉い人(バレストル会長)にチクって、共謀して意地悪をする
・チームメイトとしょっちゅう対立(講師時代も、同郷のルネ・アルヌーと対立して
例のごとくぐちぐち、教授は当時フランス国内でも嫌われてしまったとか)
・ツンデレ
・人の嫁さんを寝取ろうとする(浮気ゴシップとセナプロ対決が一時期、かぶった)
・監督失格(失格すぎるので書く気も起きません)
・チームが破産した時、自分の懐を一銭も痛めてないため、各方面から総スカン
・「アレジに給料払え」(=給料未払い。かつて仲良し師弟だったにもかかわらず
やっぱりここでも大揉め・・・)
・「鼻が曲がってなかったらイケメン」

最後の2つはF1の第1回で取りあげた「ビフォーアフター」によせられた
教授へのコメでした、しかも最後はただの見た目の悪口w
あれあれ。

いかがですか、こう見てきたら、だんだん「プロフェッサー」のことが
ちょっと可愛く思えてきたりしませんか。
少なくとも、前よりは憎めなく、あるいはとっつきやすく、
感じられてきやしないでしょうか・・・?



皆さん最後までお疲れ様でした。
以上で講義を終了します。レポートは来週までに提出してくださいね。
偉大なるぶきっちょ教授たんに、拍手!
メルシー!

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F1:その2 ナイジェル・マンセル「かっこよくておもしろい!世界最速のマリオ、我が家をF1ライフに招待する」

それは、私達きょうだいが幼い日の出来事。
我が家のF1ライフは、最後を録り損なった90年日本GPで幕を開け、
本格的なスタートは91年開幕戦からでした。
車という車は何でも好きな弟の為に、父が録画してくれたのです。
小さな車オタク坊やが夢中になったのは、セナでも中嶋や亜久里でもなく
ナイジェル・マンセル、通称マンちゃんでした!

それからというもの、毎戦欠かさず録画、総集編も忘れずに。
弟を中心に、我が家の「F1のある生活」がスタートしました。
写真もいっぱい載った、豪華なマンセル自伝が家にありましたっけ。
しかも、父の知人にマンセルファンの方がいて、弟のために
額縁に入った、マンセルの大きな写真を譲っていただいたことも!
ちなみにマンセルINDY転向後は、ヒルを応援していたようです。
普通はプロストに行きそうな所ですが、弟は英国紳士が好きみたい。
チャップリンとか、Mr.ビーンとか、今でもよく観てますからね。


このような熱狂的マンセルファンの弟に、これから書くような
お笑い要員扱いを私がしていると知られたら、一体何されるか…
でも、やる!だって面白いんだもん!!!


とりあえずまずは、普通にかっこいいマンちゃんを観てみましょう。
伝説になった92年モナコGP。
「ここはモナコモンテカルロ、絶対に抜けない!」
という、三宅アナの神実況が生まれた闘いでもあります。

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この年のウィリアムズはFW14Bという怪物マシンを投入、無双状態。
マシンの性能は圧倒的に不利なマクラーレンホンダですが、
セナのモナコマイスターぶりと、マンセルのモナコ苦手ジンクスは
マシン差をもってしても返上できない。(鈴鹿にもこれがあてはまる)
どっからでも抜きにかかるマンセルを、セナが絶対に抜かせない!
普通なら接触かスピンでもしそうな激しすぎるバトルが、最後まで
続いちゃう時点で、もう2人とも神の領域ですね。

激しすぎる残り8周に魂を全て注いでしまったマンちゃん、疲労困憊で
コクピットから出られず、セナとパトレーゼでそれぞれ片手を持って
2人がかりで引っ張り出されている画像をどこかで見ました(笑)
そこのシーンの動画を探しているんですが、見つからない。
在りかを知ってるあなた、今すぐ教えてください、お願いします!


さーて、いよいよ本題?の、マンちゃん伝説だーい!
ウィキペディアのおふざけ版「アンサイクロペディア」にて
マンちゃんは「髭ダルマ」として紹介されています。
何だか漱石の「坊っちゃん」の登場人物に出てきそうで
文化的な響きさえ感じます。
書かれてること結構ひどいけどwダルマ型のミサイルwww
ちなみにセナは「セナ教の預言者」なんだそうですw

トリビュート動画でさえ、ほとんど珍プレー集とか!
でも、こんな愛され方こそ、マンちゃん。

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本家(笑)ウィキペディアに数々のマンちゃん伝説は十分載っていますが
ここで出てきたものの内訳。
キルスイッチ(1位走行中の最終ラップ、観客に手を振っていたら
うっかり緊急時のエンジン停止スイッチ押しちゃった、本人は認めてない)
タイヤポロリ(これはマンちゃんのせいではなくピットクルーのミス)
360°ターン(ベルガーと接触して一回転、しかし何事もなかったかのように
コースに舞い戻るという、ネタだけど実は神業でもある)
スタート失敗で2回も黒旗出しといて自分はちゃっかり優勝してしまう、
そしたら天罰が頭にズガーン、表彰台でもかなり痛がってる

セナ撃墜後、逃亡(なぜに柵をよじ登る?→「逃亡」になったらしい)
タイヤ交換しようとピットインしたらクルーを追い越しちゃった
・ピットアウトしたらマシンがスローダウンして出られないよ!
怒って、ボカッ!ボカッ!ボカッ!しかも一定のリズムw
最後がワールドチャンピオン獲得レース、涙の表彰台だったのが
せめてもの救い。

そして、ここに入ってない伝説がある!
「マンセルにシケインはない」だ!
残念だったから、自分で編集してうpした!

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実はこのドイツGP、同年モナコと同じくらい充実したレースとの評も。
ここはドイツホッケンハイムなんだけど、なぜだかセナを抜けない。
で、「何とかして」とりあえず抜いたけど、
マンちゃん伝説に新たな1ページが加わった瞬間でもあり・・・
その後、僚友パトレーゼがセナと2位争いで「どんなにしても抜けない、
絶対に抜けないドイツホッケンハイム」を繰り広げるのですが。


後は「引退すると言った時は絶対引退しない、
本当に引退する時はなぜか引退を表明しない
」といったものが
ありますね。フェラーリ、ウィリアムズ、2回も引退会見しといて
結局戻ってきてるw辞める辞める詐欺www
で、マクラーレンにちょこっと乗った後はもうF1をドライブしない、と。
マンちゃんは不思議なことばっかりだw

そして、大ざっぱな部分とナーバスな部分があったり(ベルガー談)
皆の注目が自分に向いていないと気が済まなかったり(パトレーゼ談)
ちょっと気難しい性格でもあるようで、
チームメイトと険悪になってしまうことも多くありました。
90年フェラーリ時代、プロストとは元々ゴルフ友達だったのに、
チームがプロスト中心に回っていることが不満で引退宣言しちゃったりと。

その一方、一度よくしてくれた相手には感謝を惜しまない人でもあり、
92年のチャンプ獲得に大きく貢献したパトレーゼは、マンセル自伝にて
1ページ使って、大きな写真つきで誇らしげに紹介されていたりします。
この頃のウィリアムズは「チームプレイ」感があって、そこが好きでした。
「俺たちふたりで」「みんなで」勝った、っていう雰囲気が。
コンストラクターズチャンピオンも獲った92年、
ふたり笑顔で仲良く並んだマンセルとパトレーゼの、セピア色の写真。
そして近年、また一緒に大笑いしたり、同じ景色を見たりしている
ほほえましい画像が、前回うpした「ビフォーアフター」で観られます。
この2人のくだり(+プロスト)で、私はいつも泣きそうになってしまう。



胸がすくような豪快なドライブ、だけど肝心な所でいつも勝てない、
苦労人で家族想いな、イギリスのワーキング・クラス・ヒーロー。
極太の髭と眉毛がトレードマークの、マリオによく似たおっちゃん。
ちょっぴり気難しいけど、本当は素直で単純でやさしいやつ。
時に笑いのめしながら、単純に感動したり、敬愛したり、
懐かしがったりできる、かっこよくておもしろいヒーロー。

なかなかいないんじゃないか、こんなドライバー、こんなチャンピオン。



おまけ。マンセルの気持ちがよくわかるってもんです。
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さぁて、次は誰を書こうかな?
少しずつ動画を探したり、ダウンロードしたり、編集したり、
ここにうpするためにFC2動画へうpしたり、している最中です。
マンセルで始まったなら、次はパトレーゼといきたい所ですが
思い入れが深すぎて、動画やエピソードの整理がなかなか進まない。
セナプロの方が素材がまとまってきたので、先にあげられるかも?
ここは楽しくしてくれた人やものを紹介するblogなので、作る側も
楽しく気張らずに、気ままにやっていくことにしましょう。

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燃える朝やけ

Author:燃える朝やけ
・音楽、映画、漫画・・・雑多な題材をとりあげ、レビューのような感想のような、「好きなものの話」をしています。音楽寄りの題材が多めかも。
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・なぜかFC2拍手ボタンが各記事の上部に表示されているなど、変な箇所もぼちぼちありますが、お気になさらずご利用ください。

 

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